かつて私が結婚していた時期に学んだこと。

それは

結婚=安心ではない

ということ。

どうも。

私は物心ついた時から
恋愛体質、恋愛依存症
男と見れば全員オス、全員恋愛対象
愛こそが全て、愛があればお金なんて要らない
あながいれば地の果てまでレッツラゴーよ!
みたいな女でしたが、
喉から手が出るくらい欲しくたまらなくて
でもなかなか手に入らないもの

安心という形ないものに恋い焦がれてました

その安心感を全て好きな男からもらおうと長年もがき苦しんでいたワケですが、

結婚したらそれが手に入ると信じて疑ってなかったように思います。

……全ては経験から学ぶ

安心なんかどこにもなかった真顔

好きな人がずっと自分を好きでいてくれるという安心
絶対裏切られないという安心
愛されてるという安心
守られてるという安心

結婚したら解消されるはずだったそれら全ては
結婚によってますます頼りない押せば崩れそうなくらい不安定なものへと退化してしまいました

ご年配の夫婦が仲睦まじげにしてるのを見かけると、
早く自分もあの境地へいきたい!
早くばあさんになりたい!
と、強烈な憧れを抱いてました

当時の私の悩み、

ダンナを好き過ぎてツラタン。
ま、勘違いと執着でしたけどね

みたいな、
他人に相談できない
でも、切実な悩みを長年抱えていました

ダンナが家にいない間ずっと不安で
今なにしてんだろういや仕事だろ。
メールがなかなか来ない仕事だからな。
私のことどう思ってるの嫁だと思っておる。

ちょっと会話が少ないと不安
ちょっと帰りが遅いと不安
ちょっとアレだと不安ちょっとコレだと不安
不安不安ふあんふあん…

イヤ、疲れる真顔


自分疲れる前に相手も疲れる。


そして、それらの不安をずっと抱えてるとどうなるか。

その不安が現実になる
さらに不安になる
その不安が現実に…

エンドレスFUAN by.conoli 
ナウオンセール!じゃねーし。


もはや、そうなると外部の声も耳に入らない。
すごく良い話聞いても響かない。

言っておきますが
当時のダンナに全く不安要素なかったですからね
浮気してる風でもない
飲みに出歩くわけでもない
働かないわけでもない
子育てに協力しないわけでもない

ふっつーにお前が求めてる家族像の中に
お前いるで?
ってチベスナの目で当時の私に告げにいきたい

チベットスナギツネ、略してチベスナ↓
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そして、お前のダンナ不安になる程モテねーぞ?とも言ってやりたい

不安を身にまとい
悲劇のヒロイン演じて酔いしれる
安心要素が目の前にあるのに受け取らない
気づかないフリする


自分が自分を信じてなかっただけ
自分が自分を不安にさせてただけ

そして、
不安な自分でいるメリットを潜在的に選びとっていただけ。

自分の外側に安心を求めても
いつまで経ってもそれはやってこない。

男に安心させてもらいたいなら、
自分の中の男(思考)が
自分の中の女(感性)を
安心させてあげればいい。

自分に尽くすことでしか尽くされる現実はやってこない。

悩みなき生活に無理やり悩みをぶち込む暇な主婦でした。
乙です、俺氏

もっと幸福な出来事に目を向けた方が絶対的に有意義ですね。
だって、どうなるかはもう決まっているんですから。

幸せになる

の、一点にたどり着くための過程。
どうせ決まってるなら、過程も楽しい方がいいにきまってる。
わざわざありもしない現実やら妄想やら持って来なくったっていいのです。

問題は、起きてから考える!
それでオールOKですドキドキ