『場面緘黙』だったのに、それを知らずに育った人は多い。
最近は、ちゃんと診断されることも増えているはずだけど、今の30代以上の人が子供の頃には、ほとんど診断を受けていないと思う。
ずっと治らずに大人になってから診断を受けた人ならいると思うけど。
私が『場面緘黙』という言葉を知ったのは、35年ぐらい前だけど、その頃は、いくら調べても、本が1冊見つかるかどうかの世界だった。
だから、診断されないまま大人になった人(克服できたか、克服できないままかは人それぞれ)は、たくさんいる。
私も自分で『場面緘黙』だったと言っているけど、自己診断であって、病院で診断されたことはない。
自己診断で勝手に『場面緘黙』と堂々と言うのはいかがなものかと思うところもあるけど、どう考えても明らかに『場面緘黙』だったということはわかるので、間違ったことは言っていないと思う。
園や学校で話せない。
でも、家では話せる。
病気だとも障害があるとも言われたことがない。
家では普通なのに、学校では「しゃべれない子」。
「しゃべれた方がいい」ということはわかる。
「しゃべろうね」「話せるようになろうね」っていう周りの雰囲気は、伝わってくる。
しゃべれない現実と、しゃべれるのが理想だということは、しっかりわかっている。
でも、なぜしゃべれないままなのか、しゃべるという理想にたどり着けないのか、それはわからない。
本当はしゃべれるのに。
しゃべりたいけど、しゃべれない。
いや待てよ、しゃべるのは恥ずかしい。
いやいや、でも、しゃべれる方が楽だ。
しゃべれるようになりたい。
勇気を持って、しゃべればいいんだ。
でも、声が出ない。
急にしゃべるなんてできない。
声を出したい気持ちはあっても、出せない。
訳のわからないループにはまっている。
それが『場面緘黙』という症状だとは知らずに、自分は何かおかしい、何か変だ、みんなと同じようにできない、いや、本当はできるはずなのにできない…と。
『場面緘黙』だとわかれば、「ああ、そうなのか」「そういうことがあるんだ」と腑に落ちるところがあると思う。
けど、それがないまま、生活していくことは、とてもとても負担の大きいことだったと思う。
誰かに何かをしてほしかったとか、気持ちをわかってほしかったというか、そういう次元じゃない。
自分でも何もわからなかったから、人に何かしてもらいたかったのか、何をわかってもらいたかったのかも、わからない。
わからないまま大人になっていく。
それは、なかなかつらい人生。
『場面緘黙』と知らずに育った人は、「わからない」という負担を抱えていた。
「場面緘黙のことをわかってほしい」と伝えられたら、楽だったと思う。
「場面緘黙だから助けてほしい」
「場面緘黙を治したい」
頑張れることは頑張るけど、頑張ってもできないことがある。
それをわかってほしくても、『場面緘黙』を知らなかったから、何も伝えられず、自分でも何もわからなかった。
それが、『場面緘黙』を知らずに育った人です。