スピリチュアル

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日常生活は魂の成長、霊的向上、使命の成就、そして普遍意識(神、ワンネス、大いなる存在)がわたしを通して自覚に至るためにベストなことが起きています。

 

なのでこの日常生活に正しく向き合っていくことが大事です。

何も遠い秘境に行って修行したりしなくとも、必要なことは日常の目の前に示されています。

 

日常生活はトレーニングジムと例えることができます。

ジムではダンベル等の身体を鍛えるための様々なトレーニング機材が置いてあります。

そこでトレーニングして自分に負荷をかけている時はきついかもしれません。

 

しかしきつくてもトレーニングをするのは、体のスタイルを良くするため、より健康になりたいから、試合で最高のパフォーマンスを発揮したいからと、色々な目的があってやるのだと思います。

 

日常生活でも同じことがいえます。

一見こんなの嫌だな、向き合いたくないなと思ったり、感じたりする出来事や状況が起きたりします。

一見普通の視点で見れば早く解決してほしい、なくなってほしいものとしてそんなのなくなればいいのも、と見えたりもします。

 

しかしそこにはトレーニングジムのダンベルと同じであなたに目的があるから起きていることなのです。

それはあなたの魂が学ぶ必要がある課題を学び、自分の魂を成長させ、普遍意識(神、ワンネス、大いなる存在))に自らを通して目覚めていき、自分の天命を全うする、という目的のために起きていることです。

 

なので一見面倒くさいな、スキップしたいなと感じることもある、日常生活の色々な色々な出来事や状況に一つ一つ向き合っていくことが、私たちの魂が最も望んでいることを叶えることになるのです。

 

ただこのことを固定的に捉えて、じゃあ嫌な事には逃げてはならない、立ち向かわなければならないことなんだ、ということではありません。

自分が今はしんどいなと感じたときはあえて退いて休んだりするときが必要な時もあるでしょう。

それからまた向き合えそうだなと思えたときに向き合えばいいのです。

 

それからこの日常生活に向き合う時にただ何となく向き合うよりも、意識するとより効果を得られる向き合い方があります。

 

トレーニングジムの話に戻りますが、ただ何となくダンベルを上げ下げするよりも、自分のどの筋肉に効いているかを意識したり、どのくらいのスピードで何セットやった方が良いのか等を意識して行う方がより効率的に筋肉が鍛えられると思います。

それと同じでどのような在り方で日常生活に向き合うかを意識して行うかでより効果的に学びを得られるようになります。

 

そこで日常生活を向き合うためにより効果的な3つの在り方を紹介したいと思います。

 

1つ目の在り方は自分の置かれている状況や出来事、人、事、ものに心を込めて、丁寧に行為をするというものです。

これは心に想い、言葉によって語り、体をもって行うことが愛の表現に成っているともいえます。

 

これはカルマ・ヨガと呼ばれる手法で、カルマは「行為」、ヨガは「合一」を意味し、行為を通して全体(普遍意識、神、ワンネス)と合一するという意味があります。

 

例えば食器を洗うことでも、ただぼーとしながら惰性で洗うよりも、洗っていることに意識を集中したり、食器を使わせてもらっていることに感謝しながら洗ったりする方が、そのことで自分を通して光を降ろすことになります。

 

日々カルマ・ヨガで向き合うことによって、自分の意識を高めるだけでなく、周りに光を降ろすことが出来、そこに調和のエネルギーを与えることになります。

 

2つ目はこの状況、出来事、人、事、物に神ならどう対応するかを意識しながら向き合うということです。

 

自分の場合ですが、両親からあれやって、これやってと言われる度に、そんなに口出ししなくてもやるよ!とイラっとした態度で向き合っていました。

しかしそのことに気づいて、これは神の対応の仕方じゃないなと感じました。

 

そしてまた同じような状況が起きたときに、神ならどう対応するかを自らに問いました。

そこでいやいややるより両親と協力するという意識が大事だな、このような愛の気持ちからそこに向き合う方がいいよなと感じ、今までの向き合い方がより愛のある在り方に変わっていきました。

 

このように神ならどう向き合うかを問うことで、今までのエゴに巻き込まれた自分の視点から、神(愛)の視点で物事に向き合うきっかけを得ることができるようになります。

 

神ということがピンとこないのであれば、大いなる存在や愛と言い換えても同じことを指しているので大丈夫です。

 

3つめは自分の意識状態に気づいていることです。

 

日常生活の中で私たちの目の前に起きてくる状況や出来事は私たちの魂を成長させ、自らを通して神を自覚するために最善なことが現象化されています。

なのでそこに向き合っていくことが大切だといいましたが、一見そうは思えない出来事や状況に直面することも多いかと思います。

 

そんな時はなんで「こんなことが起きるんだ・・・」「これさえなければ・・・・」等とネガティブな思考や感情に巻き込まれてしまいがちです。

 

これはつまり自分に起きた出来事や状況に、こんなこと受け入れたくない、と抵抗しているともいえます。

 

しかし一見受け入れがたい出来事や状況は、より大きな視点(大いなる存在、神、ワンネス)からみていくと、自分に最善なことが起きていますので、そのことをありのまま受け入れると自らに気づきと学び、変容をもたらします。

 

ではどうすれば、抵抗せずにありのまま受け入れることが出来るのか。

 

それは抵抗している自分自身にきづくことです。

 

抵抗している時は、そのネガティブな思考や感情に巻き込まれて、抵抗と自分自身が一体化している状況です。

そこから自分自身が抵抗していることに気づくということは、自分自身が抵抗と同一化せずに距離が取れています。

 

そして抵抗(ネガティブ思考や感情)を批判もせず、分析もせず、ただみていきます。

そして気づいたら、今目の前のことに意識を集中することを続けていくことで、抵抗したくなる状況や出来事をありのまま受け入れるようになっていきます。

 

または受け入れられない自分がいることを受け入れられるようになっていきます。

ゆるしは私たちの霊性の向上と内なる神性の目覚めを促す行為です。

 

ゆるし、とはあるがままを受け入れることです。

 

私たちは出来事や人に対して何らかの怒りがわいたとき、そこに自分が巻き込まれてしまったり、こんなことはあり得ないとそのことに対して頭の中で抵抗する思考が湧き起こったりします。

自分が感情や思考で埋め尽くされて、さらにはそんなことありえないと自分の中で抵抗を試みようとすること。

つまりこれがゆるせない状態の一つだといえます。

 

それに対してゆるしとはあるがままを受け入れることです。

これは自分に生じる様々な思考や感情、感覚に気づいていることといえます。

 

あの人に対して怒りが湧いているな~、とかあの出来事を受け入れたくない!ありえない!と思ってる自分がいるな~と自分の中に起きてくる色々な反応に気づいていることです。

そこには反応に巻き込まれているわけでもなく、抵抗するわけでもなく、ただあるがままに受け止めていく視点が育まれていきます。

そこにはゆるしが起きています。

 

ちなみにゆるせないことに抵抗しないということは、行動を起こさないという意味ではありません。

あくまで自分の内面の状態を指しています。

 

例えばお店でシュークリームを3つ買ったとして、後で家に帰って箱の中を見ると、シュークリームが2つしかないことに気づきました。

なんでシュークリームが二つしか入ってないんだよ!ふざけるな!とここで怒りに巻き込まれたとします。

しかしそのことに気づき、今自分シュークリームが二つしか入っていなくて怒ってるなーと気づいたり、シュークリーム一つなくて悲しいなという感情に気づいたとします。

 

そこまでは良いですが、その後「これは今ゆるしをしている。起こったことに抵抗しないんだ。」といって、2個になったことをそのまま受け入れなければならないわけではありません。

自分がお店に2個しか入っていなかったですよ、とクレームをつけたかったらつければいいのです。

 

ゆるすからといって行動を起こしてはいけないわけではありません。

ゆるしをして、それでもまた新たに自分の何らかの本音が出てきた場合も、そのことに気づいて受け止めて、それで行動を起こしたかったら起こせばいいのです。

もちろん起こす必要はないなと思ったら、起こさなくてもいいのです。

 

このようなゆるしをすることによって、ゆるせないな、受け入れられないな、と思っていたことが少しずつ受け入れられるようになってきます。
またはゆるせないな、受け入れられないなと思う自分を受け入れられるようになってきます。

ゆるせないと思うことに自分が巻き込まれずに、距離を保つことが出来るようになってきます。

 

これは私たちの霊性の向上を意味します。

ゆるせないことをあるがままに見て、ゆるし、受け入れることは私たちを通して神(大いなる存在、普遍意識)が行うことなのです。

ゆるしを行うことは私たちがこの神に近づいていく、神性に目覚めていくための行為なのです。

 

私たちの日常に起きてくる一見困難な出来事や課題は私たちの霊性を向上させ、内在する神性が目覚めていくための現象として現れてきているのです。

 

このことに反して、一見何とかして問題だけを解決したとしても、そこに霊性の向上が伴わない場合、また別の形で問題が起きてくることがあります。

これは何となく意地悪で問題が起きているのではなく、あくまで私たちの霊性の向上のために現象化されてるのです。

 

ではその一見問題に見える出来事や課題に対してどう向き合えばいいのでしょうか。

 

大切なことはその出来事に向き合う時の意識の在り方です。

 

とにかく問題がなくなればいいんだという姿勢、もっと言えば問題や課題に対して自分が感じる嫌な感覚・感情を味わいたくない、さっさとなくなればいいんだ、という様に問題に抵抗したり、逃避的な在り方だとそこに霊性の向上が伴いにくいのです。

 

このことは問題に対して感じる嫌な感覚・感情を感じることを抵抗したり避けようとすること、他には逆にそのような感情・感覚に自分自身が巻き込まれてしまっているとも言えます。

これらは自分の自我(エゴ)を強化することに繋がり、霊性の向上や自分の内在する神性への繋がりを妨げてしまうのです。

 

ではどのような向き合い方を選択すればよいのか。

 

まず一つ目に大切なことは、一つ一つの目の前にある出来事や課題は、自分の霊性を向上させ、自分の内在の神性が目覚めるために現象化されていること。

そしてその出来事や課題に自分が一つ一つきちっと心を込めて向き合うことが、自身の霊性の向上や内在の神性への目覚めに繋がっていくということを理解し、自身にこのような向き合い方を当てはめてみることです。

 

私たちはついつい自分にとって不都合な問題や課題に対して、こんなこと面倒くさいからさけたい、早く無くしたいと、それらに抵抗したり避けがちになりますが、そこにこそ実は自身の目覚めや霊性向上のためのベストな出来事が現象化されている、ということを受け入れてみると、自身の向き合い方が変わっていくのです。

 

そしてこのような向き合い方をするにあたって二つ目に大切なことは、自分の意識状態に気づいていることです。

 

先ほども言いましたが、起きている問題や課題にこんなの嫌だと抵抗したり、どうしたら良いのかと不安に巻き込まれていると、神性への繋がりを妨げてしまいます。

しかしああ、自分は今この問題に抵抗しているな、不安に巻き込まれているな、と気づいている時はエゴに巻き込まれていないのです。

エゴに巻き込まれず、それを観察している自分、気づきとしての自分に在ることで、本当の自分との繋がりが深まっていくのです。

 

このように私たちの向き合い方次第で、目の前の問題や課題を、ただ早くなくなればいいものとするか、もしくは私たちの霊性を向上させ、内なる神性に目覚めるギフトとすることが出来るのです。