父は海軍の軍人だったが。
戦後は故郷で県の公務員になった。
そのため私達家族は3年置きに
転勤で県内を移動した。
昨日は隣の歌の上手いおばさんも登場したが
母は歌などは歌わない人だった
だから子供の私が歌を歌わないのは当たり前であった。
それはすぐに子供会のバス旅行である結果をもたらした。
バスの中では前の方から順番にマイクが回され
子供たちは楽しげに歌を歌っていた。
マイクは私達の席に回って来てついに私が歌う番に
私は自分では普通に歌える物と歌い始めたのだが、
なにせ歌など歌った事もないので、
もごもごと意味不明の小さな声が洩れるだけだった
私は私自身が歌を歌えない事を初めて知った。
気が付くといつ終わったの次の人が歌い始めていた。
人生何度めだろうか、私は強い挫折を感じていた。
一緒にいた母も相当恥ずかしい思いをしたのだろう
私は散々叱られた。
翌日すぐに母は行動を開始した。
NHKでは新番組の「みんなのうた」という
番組が返信用の切手を送るとA4紙を2つ折りにした
歌詞カードを送ってくれるというサービスをしていた。
それからは毎日テレビに合わせ「おお牧場は緑」を歌った
歌はすぐに歌えるようになった
しかも以外といい声であることも分かった
いやこれは冗談!
妻は歌わない人なので
今では私も声がでるか歌えるか分からない
昨日は松茸の事を書いたが
実は私は10年以上もの長い間、
きのこ類を食べれなかったのだ。
椎茸などわずかな匂いでも吐き気がした。
それは私が小学校の頃に時間がさかのぼる話であった。
その頃の私の家族は四角いマッチ箱に三角の屋根を
付けたような住宅が50戸も集まった、
市営の住宅に住んでいた。
暗くなるまで遊び回り、家に帰えると風呂に入り
テレビを見、父親が仕事から帰って来ると
家族そろって晩御飯を食べた。
その日は椎茸の炒め物だった。
お隣から大量に頂いたとかで大きな皿に
たっぷりと盛ってあった。
それは大変美味しい椎茸の炒め物だった。
「毎日きれいな声で歌を歌っている
お隣のおばさん美味しい椎茸をありがとう」
感謝しながらお腹いっぱい食べたのである
がその中には椎茸に良く似た毒キノコが
わずかに混じっていたのを誰も知らなかったのである。
一番最初に症状が出たのは私だった
今まで経験のない気持ちの悪さで
さっき食べた物を全部、げぼってしまったため
私は比較的軽症ですんだ。
まだ赤ん坊で食べることが出来なかった三男を除く
家族4人は病院に運ばれ
太くて大きな注射を打たれ、事なきを得たが
4つ下の次男は苦しげでこのまま死んでしまうの
ではないかとおもった。
家族全員は無事であったが
それ以後、
きのこは20代中頃まで食べる事が出来なかった。
が不思議なもので今は大好きである

