先日、釜山で亡くなられた多くの方々に哀悼をささげます。
その射撃場の思い出です。
昔の子供は学校から帰りおやつを食べ終わる、
間さえもなく外へ飛び出し暗くなるまで遊んだ。
そんな時,自衛隊の射撃場でカービン銃の弾が
採れるとの情報が耳に入ったのだ。
早速、ガキども3人は自転車に乗り、
自衛隊の射撃場へと向かった。
今では考えられない、
昼間なのに射撃場には誰も居らず、
出入りは自由だった。
標的となる場所は山肌を削った所に
高さ、5メートル位、長さ20メートル位、奥行き5メートル位の
コンクリート製の枠があり、4~5区画に区切られており
中には入れないよう金網で囲ってあった。
コンクリート製の枠の中は、
粘土質の土を盛り上げられていた。
その粘土層の中に弾がめり込んでいるのである。
やはり子供たちが開けたのだろう、
金網の穴をくぐり抜け中に入り、
粘土に空いた穴を掘り進めると弾は出てきた。
殆どは先がつぶれていたが、
中には流線型の無傷の物もあった。
今の私なら拉げた弾の方に価値を感じたかも知れない、
無傷の弾を持ち帰り、ネックレスを作った。
当時、裕次郎が映画でネックレスをしていたのを見て
子供たちにも流行っていたのだ。
弾は外側は銅で中は鉛だった。
コンロで銅鍋が溶けないように、
コンロで炙ると中の鉛だけが溶ける。
そこに針金で作った輪っかを沈めると
糸通しの穴ができる。
しかしそのネックレスを使うことはなかった。
あまりにもダサかったから。←古い表現です笑ってください。
昔の子供はなんと自由だったことか。
そしておおらかな時代であった。

