こんにちは。久ぶりの更新になります。

 

 

今回は日常生活で感じた解離症状の難しさを書いていこうと思います。

 

私は解離性障害の中でも最重度にあたる解離性同一性障害(DID)を抱えています。

 

トラウマに関連するアイデンティティ(人格ともいわれているがここでは、以下アイデンティティといいます)

社会生活を回すアイデンティティ

戦うアイデンティティ等 それぞれのアイデンティティがあって

どれも私なのですが、アイデンティティが切り替わると自己連続性が途切れてしまいます。

 

特に対人関係で関係性が深まるほど、私の身近にいる人はアイデンティティの変化の影響を

受けると思います。

 

よく周囲に言われるのが「態度や口調が変わる」「目つきが変わる」

「別人みたいになる」という言葉。

 

さっきまであんなに優しかったのに、突然突き放されるような壁を感じたり

無邪気に笑って一緒に過ごしていたのに、冷たく強い態度に変わり、不安になる、

ということも親しい関係の人は教えてくれます。

 

難しいと私が感じるのは、私はその人のことを大切に想っているのに、

その大切な想いが伝わらず、不安になるといわれると

自分がDIDということを自覚しているからこそ、自分をコントロールできないことへの

悲しさや不甲斐なさを感じたりします。

 

アイデンティティによって、キャパが違ったり好き嫌いも変化します。

体質も違うし保持する記憶や感情、価値観も考え方も違います。

得意な分野も違ったりします。

人や物事を見る視点も変わります。

人間関係の関係値も継続されたりリセットされたり

他人⇔仲良しなど振り幅が大きく、そこも相手が不安に感じたり混乱したり

振り回されていると苛立ったりする要因になっているかと思います

 

 

こうして自分を客観的に見られていても、コントロールすることはできません。

 

アイデンティティにもそれぞれ意志があるからです。今説明ができる私と

実際対人の前で出る私たちが別だったりするから

 

 

人と「一貫性のある安心感や信頼感」を積み上げていくことが難しい。

日常で感じる難しさの中でもダントツで難しいことかもしれません。

 

解離、トラウマ、アイデンティティ(人格)という用語を使わなければ

相手にその病識がなければ、一般的に言うと私は

ド級の気分屋ということになります。

 

私自身も、症状を理由に気分の波を正当化したくないという思いがあって

専門的な用語は一般の人間関係ではあまり使わないようにしています。

 

それと、病気を誤解されたくないと言う気持ちもあります。

 

でもこれでは解離の症状を私が隠して生きていかなければいけない負荷は解消されません。

 

これまで、症状を隠して、相手を振り回したり不安にさせないように、ものすごくエネルギーを

使ってきて、ちょっとした気分屋さん程度に収めようとしてきたので、

それでも不安に感じるなら、もういい、と人間関係を自分から終わらせてきたことも何度もあります。

 

人間関係をあきらめたくないという気持ちもあります。

 

症状への理解はあればあるほど助かりますが、全てを理解することも現実的には不可能

だということもわかります。

 

解離をどう伝えたらいいのか、相手が不安に感じることも受け止め

変えられない!ではなくどうすれば

お互い不安を感じない関係でいられるのか?

 

これも今後回復していくため、今より生きやすくなるための

課題のひとつだと思っています。