「どんなあなたでも大丈夫♪」というメッセージを伝えたい

「どんなあなたでも大丈夫♪」というメッセージを伝えたい

今までの経験・体験から「どんなあなたでも大丈夫」という伝えたいメッセージがあります。

私には、自分に絶望していた過去があります。

そんな私が多くのご縁の中で 現在「希望」を持って生きることができています。

高校中退、引きこもり、精神病院での入院生活・・・「私には、何もない」と思っていたこともありましたが・・・「そんなあなただからできる看護がある」と薦めていただいた看護師の資格を取り、結婚もすることができました。

摂食障害で8年間、生理がありませんでしたが娘を授かりました。

今が生きてきて一番 幸せです。



今までの経験・体験から「どんなあなたでも大丈夫」という伝えたいメッセージがあります。

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前回の「看護師への道①」 の続きです。







やっと、人生のスタートラインに立った私。





日本に帰ってきてから、まずは食べ物から離れて規則正しい生活をしたいと思い、ある施設に一ヶ月間入所することにしました。





そこでは、軽い断食と瞑想をして あとは自由に過ごします。




海沿いにある施設だったので、海を見ながら日々「これから、どうやって生きていこう、何ができるのだろう」と考えていました。




その施設には、うつ病で休職中の会社員の方や引きこもりの方、不登校の学生さん、精神的に疲れ果てた主婦の方なども入所されていて 入所期間が経つにつれてお互いの身の上を話し合うこともありました。







そこで出会った方に




「准看護師という働きながら取れる資格がある。学校は、高校受験程度の勉強で入学できるし、そのまま正看護師を目指すこともできるよ」




と教えてもらいました。




そして、今でも私を励ましてくれる忘れられない言葉・・・




「色々な経験をしてきたあなただからこそできる看護があるよ」




という言葉をプレゼントしてくれました。







私は、それまで「看護師」という職業は人生の選択肢に上がったことはなく、准看護師という資格があることすら知りませんでした。




今の私の学力でも頑張れば入学できる学校、資格・・・




そして、「あなただからこそできる看護がある」という言葉。







「看護師になろう。」







自分の人生が開けた気がしました。




その施設を退所後、受験勉強を始め、2008年に准看護学校に入学。

2010年卒業。2年間准看護師として働き、

2012年に正看護師過程のある高等専修学校に入学。

2014年、なんとか正看護師になりました。




この間も過食嘔吐は相変わらずありました。




特に実習中が酷くて、夜中まで課題をした後に寝ないで食べ吐きを繰り返してそのまま実習に行ったりしていたので・・・心身ともに限界の状態でした。




過食嘔吐でクタクタになりながらも、仕事、実習、勉強を乗り越えて・・・なんとか正看護師になりました。(この頃のことも改めて書きますね)




こうやって振り返ると・・・私、頑張ったなぁ。よくやったなぁって思います。










私は、世間の価値基準からみたら、弱い人間です。




未だに過食嘔吐は静かに続いています。




あの生活が崩壊するほどの症状はないけれど・・・まだ過食嘔吐を手放せない自分が嫌になったり、体力的に育児や家事が辛くなったり、家族や周囲に負い目を感じたり・・・今でもやっぱり世間に対して劣等感を感じる自分も出てきます。




それでも、そんな自分でもいいんだって思う。




それは、今までの様々なことを乗り越えて「今が一番幸せ」と言える「ここ」にいる自分の強さも知っているから。




過食嘔吐を言い訳にして、夢から逃げなかった自分を誇らしく思っているから。




そんな私だから、人の弱さに寄り添いながらも強さを信じることができるから。








これは、看護師を目指すきっかけとなった言葉・・・「あなただからこそできる看護」に繋がっていく財産なのだと思っています。


お久しぶりです。
1月5日、元気な女の子が産まれてきてくれました♪
文章を書くのが本当に遅い&産前産後で文章を考える心の余裕がなかったので間があいてしまいました。
産前産後、出産のことは、後日改めて書きますね。

今日は、前回の記事(精神科でのリゾート生活)の続き・・・看護師を目指すまでを書きます。


「どこにも行くところがなくなった」

学校もバイトも続かない、最後の居場所のように感じていた精神科でさえも行けなくなってしまった私。

退院してからの私は、また過食嘔吐が生活の中心、バイトもしていない、どこにも居場所のない状態でした。

誰とも会いたくない、こんな自分を見られたくない。

その時の私の体重は、42kg(身長170cm)。 気力も体力もなく過食嘔吐以外は、横になってぼんやりと一日を過ごしていました。

布団を敷く力もないので、畳の上に寝転び、テレビも音楽も受け付けない、無音の世界。

そんな世界の中で、自分のどうしようもなさに絶望し「生きる勇気も死ぬ勇気もない私は、どうしたらいいんだろう」と途方にくれていました。

そんな退院後の状況と私の思いを知った母親は、批判することも励ますこともせず

「どんなことでもいい、したいことないの?」

と私に聞きました。

その時、ふと「・・・・チベットに行きたい」という思いが浮かびました。
何年か前にダライラマの自伝を読んでから、チベットに興味を持ち、人や土地の持つ生命力に魅せられていました。

そのことを思い出し、母に伝えると・・・

「そっか、行ってきな。お金は、お母さんが出してあげる。」

そうして、
2007年のお正月、私はチベットへ

チベットは、ちょうど巡礼シーズン。各地から首都ラサを目指して様々な美しい民族衣装を着た部族が集まってきていました。

私が日本で想像していた以上の凄いエネルギーがラサに集まっていて、生命力でギラギラしていました。

五体投地でボロボロになった服や靴、砂で汚れ日焼けした顔、真っ黒な手足、何日も洗っていない髪の毛・体・・・

そこに「汚さ」はありませんでした。

そこには、生命の美しさがありました。


私にも同じ生命力がある。

「あぁ、私は何処にでも行けるし何にでもなれるんだ」

この気付きが体の奥から湧き、自分の生命力と可能性を感じました。


自分の人生を生きてみよう。


でも、何になりたいの?どう生きたいの?

学生時代、成績に振り回されてきた私は、今までそんなこと(自分の人生)を考えたことがありませんでした。

こうして・・・私は、やっと自分の人生のスタートラインに立つことになります。

次回に続きます。


あの時、母がチベットに行かせてくれたこと、やりたいことを応援してくれたことに本当に感謝しています。

チベットに行ったことで私は自分の中にある生命力と可能性を体感し、それがそれから先の進む力になりました。

あのガリガリで廃人のようになっていた私でも母は私の力を信じて援助してくれました。

そして、期待に応えられなかった私でも愛してくれていました。

「こうじゃなきゃ愛されない」って私は思い込んで自分で自分を追い詰めていたんですね。

母の愛は、私が思っている以上に深いものでした。

私は、この経験があるからこそ人の生命力と可能性を信じることができます。

そして、一見すると条件付きの愛のように感じることでも、その根本は無条件の愛であることを知りました。


あの時の母の行動が今でも私を支え続けてくれています。
16歳で高校中退してから、しばらく引きこもりのような生活をしていましたが、大検を所得したことで自信が出てきた私は、普通に外出できるようになり、アルバイトを始めました。

初めは、短時間のアルバイトでしたが、徐々にフルで働けるようになり、人に対する恐怖心が和らぎ、社会に関われていることを感じることでさらに自信を取り戻すことができました。

そして・・・「もっと広い世界を見たい、人生を変えたい!」と思う気持ちが湧き上がり・・・19歳の時に新潟から身内や知り合いが一人もいない場所、京都でひとり暮らしを始めます。

(京都は、修学旅行で一度訪れ、なんとなく街の雰囲気を知っているだけでした。今、その時の自分の決意と行動を思い返すと凄い勇気とパワーがあるなって思います。それだけ、変わりたかったんですね。)

京都に引っ越してきた最初の頃は、「過去の私を知っている人は、誰もいない。新しい自分を生きよう。」と思い、希望と期待でいっぱいでこれからの自分の未来にワクワクしていました。

しかし、同年代の人たちと一緒に働いたり、行動するようになると...中学時代のいじめ、高校中退などで感じた劣等感が再び顔を出し始めます。

またまた、人と自分を比べる生活。

自分で勝手に創り上げた「世間の評価・基準・常識」にいつも囚われてそこからズレている自分に劣等感を感じる生活になっていきました。

「このままじゃダメだ」と思ってバイトを何件も掛け持ちしたり、ボランティアをしたり、平和運動をしたり・・・人に必要とされることでなんとか自分を保っていました。

でも、摂食障害の症状が出始め・・・過食嘔吐の症状が酷くなってその生活が保てなくなります。

誰にも会えなくなって、過食用の食べ物を買いに出かける以外は外には出れなくなりました。

その買い物をしている間も、周囲の人たちに劣等感や罪悪感を感じていたたまれない気持ち。
レジの店員さんに大量の菓子パンとスナック菓子を買う私はどう思われているのかが怖くて・・・お釣りを受け取るのを忘れて帰ろうとしたり。

とにかく、人の目が怖かった。「ダメな自分」を見られることが怖かった。

生活の昼夜逆転でグチャグチャ。

体重でしか自分の価値を測れない生活。前日より体重が増えていると自分の価値が前日よりも下がったように感じて、パニックになって母親に泣きながら電話したりしていました。

こんな生活に限界を感じて、精神科を受診、そのまま閉鎖病棟に入院することになりました。




精神科での入院生活は、平和な世界でした。

同室者は、3人でみんな20代。2人は、拒食症、1人は統合失調症。その統合失調症の方も「食べてはいけない」という幻聴があり拒食状態でした。

その部屋全員が摂食障害を抱えていました。

私たち4人は、徐々に仲良くなり、食事のこと、自分の感じている生きづらさや囚われている思い、これからの不安などを話すようになりました。

時には泣きながら話すこともあり、その泣く姿に、一生懸命に生きようとしているその人たちの命の美しさが見える気がして同室者達を本当に愛おしく思っていました。


こんな風に、自分の気持ちを分かってくれる同室者達がいてくれたこと、「私は、病人なんだから休んでもいい。頑張らなくていい。」と思うことができて、囚われていた劣等感や世間の評価から離れ穏やかに過ごすことができました。

精神科での入院生活に「世間的に見てダメな私がいてもいい場所、いても許される場所」を見ていたように思います。


体重で生活の行動範囲が決められてしまったりすることに疑問はあったけれど、居心地が良くて2ヶ月間も入院していました。



しかし、退院後はまた同じ現実に戻ります。

同じことの繰り返し。劣等感と「世間の評価・基準・常識」に囚われる生活。過食嘔吐も再燃。

薬に慣れていたとはいえ、気力がない感じで社会生活を営める気がしませんでした。(入院中に薬の量が4倍になっていました)

そこで、勝手に薬をやめてみたら・・・凄いめまいと頭痛がするようになって・・・

グルグルと回る景色と痛みの中で「これは、やばい・・・!」と感じて薬が怖くなって飲めなくなりました。

また入院前の生活に戻ってしまっていることが後ろめたくて・・・病院にも行けなくなりました。


そして・・・


「もう、どこにも行く所がなくなった。」



その時、感じたのは「絶望感」でした。



それから、色々なご縁があって看護師を目指すようになるのですが・・・そのことは、また後日書きます。



他人(世間の評価・基準・常識)に自分の人生の決定権を手渡すことは、かけがえのない命(自分)を粗末に扱うことなんだと思います。

そして、粗末に扱われた命(自分)は、苦しくて寂しくて暴れだしたり無気力になったりするのではないでしょうか。


周りを見たら、私のことを心配してくれたり手を差し伸べてくれていた人たちがいて、「愛」は沢山あったのに・・・その時の私は自分の世界に閉じこもって、その「愛」を見ることができませんでした。

自分の辛い思いばかりをぶつけて、振り回してしまっていた人たちもいます。

本当にごめんなさい。沢山の愛を、本当に本当にありがとうございます。


こうやって振り返って・・・その時の私を今の私は、抱きしめて「ここにいてもいいよ。大丈夫、周りを見てみて」って伝えたい。

同室者達と同じように、あなたも一生懸命に生きようとしていたじゃない、あなたも愛おしい存在だったんだよって言いたい。


自分を抱きしめられるようになった今、見えてくる世界があります。




「どんなあなたでも大丈夫」


このメッセージを伝えていきます。
私は、摂食障害です。


この症状を抱えて約10年になります。

拒食症→過食症→過食嘔吐。過食嘔吐歴が約9年くらいで一番長く、酷い時は、一ヶ月間で十数万円以上の食べ物をトイレに流してきました。


袋いっぱい過食用の食べ物を買って家に向かう時・・・お腹がはち切れそうな程食べ物を詰め込んでも食べ続けることをやめれない時・・・トイレに向かう時・・・嘔吐後・・・

自分が本当にどうしようもなく駄目な人間に思えて、自己嫌悪と罪悪感に潰されていました。身体だけでなく孤独で気持ちも苦しかった。

でも、「痩せていること」「現実逃避」「食べている時・吐いている時の高揚感」を手放せなくて・・・取り憑かれたように毎日何回も食べ吐きを繰り返していた時期もありました。

その時期の休日は、過食衝動が怖くて予定を入れることができず過食用の食べ物を買いに行く以外は出かけることができませんでした。

過食衝動が無い時でも、カロリーや食べた量が常に気になっていました。

特に、人とのお食事や飲み会が本当に苦痛で・・・いつもソワソワしながら参加していました。

話になんて集中できません。
過食嘔吐の衝動と葛藤しながらその場にいることがその時の私の精一杯でした。


そんな私でしたが、「どんな私でも大丈夫」と思えたり、人に対する恐怖心が和らいできた今、やっと過食衝動や過食嘔吐に生活が振り回されることがなくなってきています。

仲間と呼べる人たち、会いたい人たち、愛する人たち・・・大切に思う人たちとカロリーや食べる量に取り憑かれることなく食事を楽しむこともできるようになりました。


摂食障害を通して「食」にこだわってきた私だからこそ、一食一食のありがたさ、人と食事を共にすることの幸せを人一倍感じることができるのだと思います。

そして、私はそのことを伝えることができる。そう信じて、この経験を強みに変えていきたいと思っています。

一食一食を丁寧に重ねていきたい。

食を通して人ともっと繋がっていきたい。いつか、お料理教室(一緒にお料理を作る会)をしてみたい。
そんなことを考える今日この頃です。



食事も人も怖くない。
私は、大丈夫。
私は、高校を約二ヶ月で卒業(中退)しました。


もともと、私は、そんなに勉強ができる方ではありませんでした。(小学生の頃、ローマ字が理解できなくて泣いたり、算数は問題が解けなくて居残りしたりしていました)

しかし、中学の頃にいじめを受け、「あの人たちとは絶対に同じ高校に行かない!」と強く思ったこと、良い成績を取ると母がとても喜んでくれたことから私は良い成績を取ることに一生懸命になるようになりました。


そして、成績が良くなり始めた時に母親から忘れられない一言を言われます。

「あんたは、運動神経も悪いし器量も良くない。何もないんだから、勉強を頑張るしかないんだよ。」

その時、私は、その言葉に反発もショックも感じずに「あ、そうだな。」と納得して「私は、勉強を頑張らないと何もないんだな。」と思うようになり、さらに勉強を頑張るようになります。
土日は、図書館にお弁当を持って勉強に行き、休み時間は暗記ノートを読んで勉強、勉強。将来の夢なんて無くて、ただ「良い成績を取ること」が目標。


いじめっ子達と同じ高校に行きたくない、お母さんを喜ばせたい・・・頑張らないと私には何もなくなっちゃう。
必死でした。



志望する高校に受かり、いじめっ子達からも離れて新しい環境で再スタート♪とワクワクして高校に入学しました。
そして、入学後すぐのテストで中学時代にも取ったことのなかった「3番」という成績を取り、全校生徒の前で発表されます。
その時は、母親と「今まで頑張ってきて本当によかったね」と喜び合い、凄く嬉しい時間を過ごしました。


しかし、その喜びは長くは続きませんでした。

成績が落ちることが怖くなり、勉強がストレスになり始めました。勉強に向かうことができなくなり、落ちていく成績が怖くてテストも受けられなくなりました。

今まで同級生を友達ではなく、競争相手のように見てきたので相談するとか弱音を吐くことなんてできません。(友達と呼べる人は一人もいませんでした)

「何もなくなっちゃう・・・!」
気持ちばかりが焦ります。
教室に入れなくなり、保健室登校→高校自体に行けなくなり・・・不登校。
母親は、取り乱し毎日 泣いていました。
でも、私もどうすることもできません。気持ちは焦っても体が動かない、学校に行きたくない。行けない。

心療内科でもらった向精神薬や睡眠薬を飲んで眠っていること、ただそこに存在していることだけで精一杯でした。

勉強という場から逃げたい。高校には行きたくない。


そんな状態になった私を見て、母も高校中退を許してくれ・・・約二ヶ月で卒業(笑)することになりました。


この後のことは、また今度♪



母の「あんたは、運動神経も悪いし器量も良くない。何もないんだから、勉強を頑張るしかないんだよ。」という言葉は、勉強を頑張って高学歴で経済力のある女性になって欲しいという母の愛からのものであったと今なら理解することができます。
経済力に不安があり、父親との離婚になかなか踏み出すことができなかった母は、男性の経済力に頼らなくても生きていける女性になることが私の幸せにつながると思って成績にこだわっていたんですね。

こうやってあの当時を振り返ると、あんなに深刻になったり、悲劇のヒロインになって自分をすり減らす必要なんてなかったのになぁ・・・もっと自由になった時間を楽しめばよかったのになぁ・・・って思います。
でも、あの経験をしたこと、あの感情を味わったことが私の財産でもありますね。



今、その時の私や同じ状況にいる人に伝えたいことは・・・

あなたは、生きているだけで価値がある。たくさんの可能性がある。その経験をしたことが大きな財産だと思える日が必ずくる。
自分がすり減る場所にいることはないよ、あなたの選択は間違ってない。
深刻にならなくていい、休んで回復したら将来への道はいっぱい見えてくる。
大検を取れば、大学や専門学校にも行ける。何にでもなれる。今まで将来について考えられなかった分、ゆっくり考えたらいいよ。

自分を大切にして、ゆっくり休んでください。
今日は、引きこもりをしてからの母親の変化について書こうと思います。


引きこもる前、「良い子」をしていた私の母へのイメージは、父親や近所への愚痴、不平不満でいつもイライラしていてかわいそうな暗い人でした。
だから、良い成績を取って喜ばせてあげたい、「良い子」でいなくちゃって頑張っていました。


でも、高校に行けなくなり引きこもるようになってしまい・・・「良い子」ができなくなると・・・その時から母の大変化が始まります。


以前は、近所しか運転できなかった母でしたが、色々な講演会やカウンセリング、親の会への参加、良いカウンセラーやお医者さんがいると聞けば遠い地域でも車で連れていってくれるようになりました。

このことで活動的・行動的になって、遠出ができるようになり、ドライブという趣味ができました♪そして、新潟から京都まで一人で運転して来るまでに!

さらに、「こうでなければならない」「こうあるべき」という縛りが強い母でしたが、その縛りから解放されて自由になりました。
今は、ストレスの元であった父から離れて都会で独り暮らしを始め「今が一番自由。あんたに感謝している」と言っています。

驚きの母の大変化とパワフルさ。そして、何よりも母親の愛の深さと強さ、頼もしさを感じて尊敬しています。


渦中にいる時は、こんな日がくるなんて思いませんでした。
なんて親不孝者なんだって自分を責めていたけれど・・・今の母の姿を見るともしかして、親孝行をしたのかも・・・なんて思います。

引きこもりの経験は、私と母の財産です。

私も母もお互いの事を「どんなことがあっても大丈夫」って信じ合える土台をこの経験から得ることができたと思います。

私には、自分に絶望していた過去があります。

そんな私が多くのご縁の中で 現在「希望」を持って生きることができています。

高校中退、引きこもり、精神病院での入院生活・・・「私には、何もない」と思っていたこともありましたが・・・「そんなあなただからできる看護がある」と薦めていただいた看護師の資格を取り、結婚もすることができました。

摂食障害で8年間、生理がありませんでしたが自然妊娠することもでき、今、7カ月の命がこの身体に宿っています。

今が生きてきて一番 幸せです。


今までの経験・体験から「どんなあなたでも大丈夫」という伝えたいメッセージがあります。