為君執鞭了生涯 -558ページ目

眠った時の夢のお話。

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降りしきる雪の中、家に向かって駆け出す娘です☆



何日か前に撮った写真だけど、こちらはこんな感じでまだまだ雪景色です。



でも今日仕事帰り、植え込みの土に草の芽が出ているのを発見。



ちょっとづつですが、北国にも春の足音が♪





話しは変わり、昨日、私は小さな子供に戻っている夢を見ました。



私の父親は私が二十歳の時に亡くなっているのですが、夢に昔の父が出てきて、私と妹も小さな子供に戻っていて、海に連れて行ってもらっている夢でした。



他にも沢山人のいる海岸で、私達は貝殻を拾っていました。


すごくはしゃいでいて、気持ちも本当に子供に戻っていました。



海の色や手や足に触れる波もすごくリアルで、なんだか不思議な夢でした。





私、結構昔から予知夢や不思議な夢を見るんです。



夢の中はいつも現実と同じで色彩があって、リアルです。



夢も録画できる装置?ができて、みんなで見れたら楽しいのになぁって思うけど、それじゃヘンな夢見たら困るかもネ☆f^_^;



さてさて、皆さんは昨夜どんな夢を見ましたか?d('-^*)

お菓子作りと夢☆

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昨日の休日は、久しぶりにケーキを焼きました。
苺のシフォンケーキです♪



基本的に、お菓子作りや料理作りが大好きです。

今はなかなか時間がないので、お菓子作りは滅多にできないけど。



昔からの夢の一つに、“早く24時間自由の身の年寄りになって、毎日お菓子焼いたり編み物したり縫い物したり~って過ごしたい!”ってのがあるんだけど‥夢のない夢!?f^_^;





さてさて話しは変わり、今日は久しぶりに遠くに住むママ友さんからメールがきました。



私、妊婦時代は大阪で暮らしてたんです。
その時すごく仲良くなったママ友さんが二人いて、でもこっちに帰るまでに数回しか会わなかったんだけど、未だにメールや手紙や写真のやり取りをしています。



こっちに帰ってからも何人かのママ友達はできたけど、私にとって妊婦時代の大阪のママ友さんは特別な存在です。



もう大阪へは帰らないと決めた時、一番辛く悲しかったのは彼女達にもう会えなくなることでした。




里帰り出産のため大阪から北海道へ帰る前、それが最後とは思わず、二人にスノーボールクッキーを焼いてプレゼントしました。
帰ったらまた会おうね♪って気軽に。





またいつの日か‥手作りのお菓子を持って彼女達に会いに行きたいな。



これも夢の一つデス☆(*^-^*)

昔話し

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始めに。
他人の嘔吐するところを見たくない人は読まないで下さいm(_ _)m



現在の私は平穏に?暮らしていますが、過去の自分がずっとモヤモヤを抱えたままなので、今回は吐き出してみたいと思います。





今、私はシンママとして暮らしているので、周りからはよく『大変ね~』みたく言われたりしますが、実際は今まで生きてきた中で、娘と二人で暮らすようになった現在が、一番幸せだなぁと思っています。



私は物心がついた時から、母親と上手くいってませんでした。

思い出すのは、小さい頃から母親と言い合いをしている自分です。



2つ下の妹がいましたが、妹はお母さんっ子でずっと母とベッタリでした(現在も)。



実の親子でも、相性ってあるんだろうな‥と思います。



私も母に甘えたかったのですが、出来ませんでした。

常々、お姉ちゃんなんだから、って言われて我慢ばかりしていました。



母とはとにかくぶつかることが多く、そのうちヒステリックに喚きながら暴力を奮ってくるようになりました。



小学生の頃は、いつも頭にコブがあって、手や顔は母の爪跡だらけでした。



『お前は最低の人間だ』というのが母の私に対する口癖でした。
そして、『お前はどんな人間とも上手くやれないだろう』と呪文のように言われ続けました。



中学生の頃には全てに自信を喪失していて、私は自分をダメ人間だと思っていました。



実際、勉強も全くできなくなり、いじめにもあい、なんのために生きているのかわかりませんでした。



高校生くらいになると、私も自分なりに色々考えるようになり、新たに友達も好きな人もできて、単に『ここは私の居場所じゃないんだ』と思うようになりました。



冬の夜、必ず雪かきをさせられるのですが、雪をかいたあとタバコを吸いながら夜空を見上げては(何故か冬の夜の冷たい空気と一緒に吸うタバコは旨かった☆)あ~、この空のどこかの下に、必ず私を必要としてくれる人がいるはず。と、期待と希望を胸に生きていました。





それからはもう、恋愛一筋で走り続けでした。

正直、恋愛依存性でした。



常に誰かを好きで、ご飯食べるのも忘れるくらい夢中でした。



でも、振り返ると、誰かを愛しているつもりでいつも、愛されることしか頭になかったんだと思います。



そして何故かいつも、私を普通に想ってくれる人ではなく、すぐにどこかへ行ってしまいそうな人や、ダメ男(金銭問題、女問題、暴力問題)を抱えてるような人にばかり夢中になっていました(恋愛依存性の特徴らしいです)。



なわけで、いつも私の恋愛は悲惨なものでした。





最初の結婚は7年でしたが、暴力、金銭問題、女問題、全てありました。



何でそんな人と結婚したの?
ってみんなに言われましたが‥理由は、その人がダメな人だったからです。



私が沢山の愛情で包んであげたかった。
そしたらきっとその人も変わるはず‥なんてね、傲慢でした。



不幸な生い立ちの男を見ると、自分の子供の頃とダブって、愛情を与えたくなったんです。

今思えば、寂しかった子供の頃の自分自身を投影して、自分を愛してあげてたのかもしれません。



2度目の結婚相手は、最初の人と正反対の人を選んだつもりでした。



でも、形は違えど同じでしたね。
彼も不幸な家庭環境の人で、結局は自分自身しか愛していない人だった。
それでも今回はすぐに子供ができたので、なんとか結婚生活を保ちたかったのですが‥



何度話し合ってもまともに働く意思がなく、それなら私が一人で働きながら子供を育てた方がいいなって思って別れました。



その人と一緒にいたら、毎日怒ったり泣いたりばかりになるってわかったから。
母親が幸せじゃなかったら、子供も幸せになれないって思って。





子供と暮らす毎日は、今までに感じたどの幸せより幸せでした。



子供って、無条件に母親を愛してくれる存在です。
私の心は、今まで生きてきた中で初めて満たされました。





現在、実家の母親には、私が日曜日や祭日仕事が入った時など、娘を見てもらっています。



母は、孫は無条件に可愛がっています。
私と母親の距離は未だに縮まらないものがありますが、表面上は普通の親子しています。



多分、当時、父親の仕事が多忙だったり、金銭的に大変だったりで、イライラしていたのもあったのかな‥と思います。


あとはやっぱり、根本的に合わない何かがあったんだとしか思えないけど。





ふぅ~!吐き出して、私の中の子供がスッキリしたようです(^-^)v



おやすみなさい☆