自分の名前の文字が使われたことば、
 それって、何で特別に感じるのだろう。

 文字の言霊か、
 そういえば、
 あかちゃん命名の考慮に、
 音の陰陽ってのもあったなあ。

 まあ、使い慣れた音の連なりではあるのだが、
 綴り方に使ってあるだけ…
 で、ちょっとうれしい…
 そうね、よい(佳い・好い・良い・善い)言葉の綴りなんだし、
 気持ちはいいね。

 名前詩(なまえうた)くらふと

 それとは異なるけれど、
 今年の旦那と私の誕生日に
 次男夫婦がオーダーしてくれた額がある。
 「お名前感謝状」
 名前の文字をバラして使ってあるだけなんだけど、
 文字の味わいがいいしね。

 そうか、そうね。
 当たり前のことだけど、
 これにしようって、
 ふたりで決めてくれた時の
 空気のホンワカとキラメキが感じられて、
 何より、
 贈ってくれた、気持ちが嬉しいんだ^^
 きっと。

時空の旅鈴女-お名前感謝状







13歳で自ら命を終わらせることを選んでしまった
姪の長男の七七日に向けて捧ぐ。
今回の生を踏まえて、
産まれ直し生き直しができますように。


 赤ちゃんを見て、
 赤ちゃんの目を見て、

 いつも思うことがある。

 産まれ子の持つ
 「 無限の可能性 」

 生まれ落ちたときに、
 それを持っていることを
 忘れ落としてくるのか、
 あるいは、
 今生、育ち往くうちに
 落としてゆかねばならないのか。
 と。
 せつないなあ…

 でもね、
 今生に、産まれるのを選んだ時に、
 それを忘れるから、まず捨てるから、
 生まれた意味があるのだなと。
 選び、考え、創りだしてゆくんだなと。

 「君は、なんでもできるんだよ!」

 もし、生きて往くうちに
 君が耐えられない苦悩の底なし沼にあっても、
 君が息を止めない限り、
 呼吸はできるようにできているんだ。
 それが、この世に生まれるということなんだ。
 目も耳も口さえも泥が詰まっていてもね。
 そして、その泥は実は君が創ったものなんだよ。
 他の誰もその泥を作れやしないんだ。
 だから、君だけがその泥を澱*にして、
 そこに澄んだ水を湛えることができるんだよ。
 何でも湧出できる泉だったと気づくかもしれないよ。
 そうすればそこから、泳ぎ出るだけだよ。
 ああ、自ら産まれ直しができるんだね。

 素晴らしきかな人生!
 君に祝福*あれ!

 そして、保護者の方、
 赤ちゃんの往き様は
 あなたにもかかってもいる。
 あなたが、幸せでなければ、
 赤ちゃんは幸せになれないよ。
 保護者の方に祝福を!


  *澱(オリ):ヘドロでさえいずれ肥料になったりする。
  *祝福:宗教的な意味合いはなし、純粋無垢なエール。


 このごろ、
 道行く赤ちゃんが、
 赤ちゃんの方から、
 私の目を眼を見て観てくる。
 ガンとばしだ~^^
 おそらく、
 「この若作り婆ちゃん、よう焼けて皺多いなあ。」
 とは、思ってないと思う(大笑)って、
 そっちだったの!?!(→o←)ゞ







 何故だろう、静かな日だ。
 お隣は、外壁をタイル張りにするための工事中で、
 タイルを切る音が響いている。
 
 蝉蝉蝉、頑張ってる。

 でも、
 静かだと感じる。
 寒暖計は33℃を示し、
 汗浮いて流れる。
 でも静か。


 今月のヨーガレッスンから、
 始めと終わりのマントラの唱和を止めた。
 ( サヴィトリィ / シャンティ )

 もともと、強制もしていないが、
 帰依するわけでもないのにと、
 違和感を覚えるのか、
 覚えなきゃいけないのか?!と、
 逃避を違和感としているのか…
 
 どうであれ、
 ポンと受け入れられる方は少ない。

 謙虚さと真摯さのためでもあり、
 レッスン始めと終わりのスイッチ、
 音の妙、身体の内側への響きが、
 背景はインドの宗教風土であることは否めない。
 その背景から離れよう、解放しようと。
 
 神様に頼るのはやめた^^。


 瞑想とは異にして、
 レッスン始めに、
 自分への意思確認あるいは宣言をして頂く時間を、
 レッスン終わりに、
 その日のパフォーマンスに執着せず捨てて頂く時間を、
 取ることにした。
 
 新たなる歩みの為に。