体験に無駄なことはない

よくある言葉


音楽への理解のため考察や解釈をしていて

なんだかのっぺりしてしまうと言っていたところから解釈や気づきが始まりました。


それはまるで、悲劇のヒーローのような音楽
悲しみの渦
そしてはたと振り返り、それはもう過ぎ去ってしまったのだと気づく
 

悲しみの中にいて疲れきっているけれど、それすらも何かの役に立つことがある
何も生産性がないとさえ思えること
 
いつも何かの役に立とうとしなくてもいいのだけど、それが結果的に次の経験として生かされることがある
 
そういう体験は、いま疲れきっている誰かにとっての希望にはなり得ると思う
 
何より過去の自分自身に向けても書いてあげよう
それでいいと思えるようになったから
 
昔は良かった、あの時間は最高だったという懐かしさや、今は先に進むより思い出に浸ってたいという後悔にも似た感情を感じさせる
 
 
誰かの心を揺さぶる曲や体験や話は
特に切なかったり、苦しいこと、悲痛なものは

まずその製作者本人が、とてもじゃないけれど耐え難いような、激しく心揺さぶられたことをもとに描いていたのだと思う
 
それが何なのかを言葉にして語らない人もいるが、言ったとしても言わなかったとしても、まずその作品や表現そのものから伝わってくるものがある
情緒に訴えかけるもの
 
歳を重ねるとそれを自分で体験することの方が多くなって、たとえ言葉ではなくても、それらは他の表現によっても伝わるのだなと思う
音楽であればより直感的に直接的に深い領域へと触れて踏み込んでゆく
 
もちろん伝わるような描き方や表現の仕方を勉強していると言うのも大事だけど
でもそれは言葉を超えて、伝播してゆくのだと

そのことを心は知っていて、だから勝手に涙が出てくるのだと。そう感じている


こんなにも深く美しい表現を持っているのだから
それを悲痛なものも含めて表現してあげたいと、やっとまた思えた


過ぎ去った時間や年月、それがたとえその時は辛い経験だとしても、それはいずれ次へと活きる経験になったり、このためだったのかと思う体験がまたあるのだろう
実際にそうした時期に来た
 
あの曲達にもそんな気持ちや情感を込めて演奏したい
込めるというか、添えるように
 
 
悲痛なものは出してはいけないと思っていた時期があったのだけど、もしかしたら
チャイコフスキーやショスタコーヴィッチ等々、辛い時期を経た音楽家の人々を感じ見ればわかるように
悲痛苦痛哀愁憤りなどの体験からも、より人の心に訴えかける創作が作られることがある
 
そんな事が無いものもあるが、深く突き刺さるような体験をしたからこそ、同じように響く何かが生み出せるものがあるんだろう
創作というものは、創を作ると書くけど、それは痛みと言う意味もあると言う
 

曲としては、痛ましく切ない体験も、曲としてキリを作って綺麗な感じで大団円を迎えている終わり方もあるが
作品が完成したとしても、人生の中ではそれを消化…
いや作品として向き合って昇華していかないとやっていけなかったのだと思うことがある

一つ一つの出来事そのものはあるにしても、人生が続いていけばその体験は曲のように終わりは無いからだ
 
音楽はまた世代を超えて引き継がれるものでもある

どんなものであっても初めての体験や、最初の体験と言うものは良くも悪くも尾を引くもの
 

だけどそれも作品として向き合ってしまえば1つの体験として振り返ることができるようにもなっているのかと感じる

ただの作品としてではなく、当たり前だがそれを作った人の人生の背景、それを作るに至った作者の人生の生い立ち、目を閉じて背景までに想いを馳せて思い描くと
その人それぞれの人生を少しだけ追体験しているようで奥深い
タイムトラベラーのような体験
 

音楽作品にご縁があると言う事は、人生誰でも似たような体験をしていると言う事でもある
それに触れて、感じられる何かしらの体験がある
 
まさか自分が今まで体験していた事ともつながるとは
そういう意味では、新しく曲を知ると言うのは
自分の中で起きた体験が、今はわからなくても、これから起こることとしてあると言うものも存在するのかもしれない
 
音楽は様々な体験を物語っている貴重な感情の資料だ

情緒辞書のように様々な感受があり、様々な喜怒哀楽のアルバムであり、宝庫
 
少しニュアンスは違うけれど
技術面のみならず、私たちはそれらの感情のアルバムを楽曲を通じて聞いて感じているわけだから、普通は史実や音楽の勉強の時間などで「こうでした」と言うのを聞いて見て勉強しないとわからなかったりするけれど
曲によっては心の動きがそのまま出ているタイプの人もいる
だからこそその起きた出来事、体験、人生そのものを感じ取ると言うことがよほど大切
その感情的体験が自分の人生に起こらないとも限らない

言語化しない方が音楽に生かせる可能性はあるけど
あえて深いところを汲みとり言語化してみるというのも理解が増す

 
普段からこうしたことを感じ取っていると、いろんな人の気持ちに触れすぎてしんどい場合もあるだろう
それでも、それを理解したいから使っていくと決めたなら
心の救いにさえなる

第三者には見えにくいけれど、自分の心の中に入っていくことによって心の救いを得られる

まさにそんな感じの日だった

 
心揺さぶられるような楽曲を聴いて実際に心を揺さぶられると言う事は、聴き手もまた心を揺さぶられるような感情的体験をしていたからこそ
 
嬉しいことや楽しいことでもうそういうことはないかもしれないと思ってたけど
夜が明けないような悲しいことや苦しいことでも心を揺さぶられて味わえる何かがあると言うことだ
 
一見楽しいことや嬉しいこと輝かしい素晴らしいことてわ心が動いたほうがいい気がするけれど、そうとも限らない
 
何度も起こられてもしんどいしきついが、心がぎゅっとなる体験と言うのは、味わい深いものでもある
しかし中毒になってはいけない
 
もしかしたら人間独特のものかもしれない
 
生きている者たちは、別れの苦しさや哀しみに向き合う時期や機会がある

嬉しさや喜びに包まれることの方が多く取り上げられる世の中だが

苦しみや悲しみもあって良いのだ、と思えるようになったことは音楽のおかげ

私の人生の転機にもなった

 


夜の道を歩き
歩きつかれて立ち止まるように
夜空を見上げる時
人生の道をコツコツ歩いていけば、希望と出会える日が来る
 

2021年の魚座の満月の日に
想いを綴る