コスモス畑の夢

コスモス畑の夢


はかないその一瞬を、僕はここに記録したい。

唐突に訪れる衝動を、言葉を、僕は今の精一杯で残したい。



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カーネーションの花束を送る代わりに、僕は日にちが替わるこの瞬間にありがとうと言う。

母という人は、僕の人生にとっていったいどれだけの意味があるのだろうか。

僕自身さえ、その価値と存在意義を知らないのだろう。


生きて来た年月のすべてに、絶対に母がいたと僕は確信できる。

母は、僕を生み、育て、そしていつしかは見送ってくれると思う。


母の存在意義や、その価値を見出そうとしている内には、僕は母の本来あるべき偉大さや、その愛とか厳しさやら、時には悲しさや寂しさは知るすべもないと思う。

いつも、僕は母をどうにかやり過ごそうとしていて、そしていつしかはそのすべが時には無関心でいる事だと知り、母に悲しみの涙を流させていた。

それは、こうして僕は知っている。

けれど、それが直ると言うと、僕自身、そうなるような気はしない。

直そうと、僕は思うけれど、本当に、思うのだけれど、僕はひどい人間だから、その態度の違いはすぐに直せるはずもなくて。


僕はそういう人だから、今日、いや、もう昨日だけれど、には気の利いた事や、素直な言葉は言えなくて、だから、僕は明日、いや、今日、日付の変わっている今、こうして伝えたいと思ってしまって。

僕が、こんな僕が、母に言える立場ではない事を理解していて、この一言だけで、今までの事や、これからの事が無かった事にできるわけもないのだけれど。

僕はどこまで行っても自己中心的に動いてしまうから、ここでこうして書くだけでも、自分を救えるような気がして、本心ではいまいちこの言葉の意味も分かっていなくて。


僕はこの意味や、僕自身の本心さえ知らなくて、でも、上っ面だけでも僕はあなたを愛していると知りたくて。

だから今こうして書いているのだけれど、やっぱり母にはつらい事ばかり強いてしまうのを知っているから、僕は証として残るモノが欲しかったんだと言い訳のような事を考えてしまうんだ。


本当は何も残らない方が、母には良かったのかもしれないけど。




今まで、ありがとう。


見捨てないで、ありがとう。


謝ることはありすぎて、僕はそのたびに謝ってなどいないけど。


愛してくれて、ありがとう。


ありがとう。


ありがとう。


ありがとう。


今までと、これからのために。


ありがとう。


そして、ごめんなさい。



何をどう、言えばいいのかわからないけど、僕にはあなたしかいないから。


もちろん、友達はいて、先生も、ペットも、周りにいる人たちはいるけれど。


でも、母親は、あなただけだと、今気が付いて。


いつもあなたに言っている言葉が、僕自身の信用を落としている事も、もちろん知っていて、けれど、ありがとうと、それでも僕は言いたくて。


母親という人は、あなたしかなれないのだと。


自信を持ってもらいたくて。


怒るときはちゃんと怒るし、手を挙げる事はないし、もちろん、本気でいう言葉もあるのだけれど、そのすぐ後には悲しくなって泣いてしまうんだけど。


優しい時は暖かくて、その時の体温や落ち着くにおいは本能で覚えている。


一日の半分を喧嘩と悲しさで埋めている事が多いけれど、その半分は愛と優しさに満ちているんだ。


その暖かさの方が、僕は一生覚えていると思うから、だから。


今までで一番きれいな言葉を、あなたに送りたいんだ。


カーネーションか何かの花を今日は送るようなんだけど、僕はそんな純粋なモノをあなたへ真っ直ぐに贈れはしないから。


出来る限り、きれいな言葉を贈りたいと、思えたんだ。



ごめんなさい。


ありがとう。


これからも、よろしく。



貴方の子供として、僕は悲しかった事も、後悔した事も、苦に思った事もない。


貴方の子供として、生まれてきて、嬉しい。



母の日、おめでとう。



母へ、愛をこめて。


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