月の状態と自然現象の恐るべき関係
月の状態と自然現象とのあいだになんらかの因果関係があることを、
昔の日本人は経験則を通じて察知していたようである。
その証拠に、一種の生活の知恵として、月にまつわる多くのことわざが残されている。
*月夜に大風なし:::月の出ている晩に大風は吹かない。
*月の笠はくだり:::月が笠をかぶったようになると、雨が降るか風が吹く。
*月の平らに舟乗るな:::三日月が横になるのは海が荒れる前兆だから、舟に乗ってはいけない
*月の昇りに目の下り:::月が昇るときと日が沈むときに笠をかぶるのは、雨が降る前ぶれである。
*月の出八合、入りながら満つ:::満潮は、月の出には八分ぐらいまで。月の入りにふたたび満ちてくるものだ。
*月天上に入り潮なし・・・・・・月が中天にあるときは干潮である。
*月の出の風に入りの雨:::月の出るころに天気が荒れ模様となった場合は風、月の入りのころなら雨になる。
月そのものの状態を見て、自然現象への影響を予測する。これもまた、月の力を目撃してい
ることにほかなるまい。
『Fail3 冨沢さんバイク事故 コスモリズム事故分析 』
2010年 9月5日 冨沢祥也さん オートバイ世界選手権での事故分析
【冨沢祥也さんの事故月のコスモリズム】
生年月日:1990年12月10日
要注意日:9/19、20
注意日:9/5、6、7、8、10、11、25、26
オートバイの世界選手権シリーズにフル参戦しているホープの富沢祥也選手(19)が5日、イタリアのミサーノアドリアティコで開催された今季第12戦サンマリノ・グランプリ(GP)で、モト2クラス決勝のレース中に事故に遭い、搬送先の病院で午後2時20分(日本時間同9時20分)にお亡くなりになられました。
同選手権の運営本部が発表した内容は、頭部、胸部、腹部を強打したという富沢選手はコーナー立ち上がりで転倒、競っていた後続車2台にはねられた。この日は、富沢さんの「注意日」でした。
『Fail5 細川俊之さん事故 コスモリズム事故分析 』
2011年1月12日 自宅にて転倒 細川俊之さんの事故分析
【細川俊之さんの事故月のコスモリズム】
生年月日 1940年12月15日
対象年月2011年1月
要注意日:8日、9日
注意日:1日、6日、7日、12日、13日、21日、22日、23日、24日、25日
細川さんがお亡くなりなった原因は、自宅にて転倒し頭部を打ったことが原因となりました。 本人の転倒されたのが 1月12日。この日は本人の注意日であり、月の周期が上弦の当日となっていました。上弦の当日は、交通事故分析からも危険日となります。
細川さんは、自分の注意日と月の周期リズムの危険日の重なり起きた事故でした。
ご冥福をお祈りいたします。
『Fail7 海老蔵さん殴打事故 コスモリズム事故分析 』
2010年11月25日 海老蔵さん殴打事件場合
2人のリズム・注意日が重なった事件例
【海老蔵さんの事件当月のコスモリズム】
生年月日:1977年12月06日
要注意日:22、23
注意日:6、7、8、9、12、13、18、19、27、28
【伊藤リオンさん事件当月のコスモリズム】
生年月日 1983年12月15日
要注意日:10、11
注意日:7、8、22、23、24、25
事件の発生日は、海老蔵さんの注意日・要注意日にはあたりませんが、11月の海老蔵さんの 月・地球・太陽の周期リズムが等間隔のリズムを刻んでいます。こういうリズムを刻む月は、本人の精神状態・身体状態がバラバラになる月であり、普段ならしないような行動を起こしやすくなる月になります。事件の記者会見当日、突然体調不良などの理由でキャンセルし、その後に、体調がよくなったと飲みに出掛けたりする様なことは、常識では考えられないような行動だと思います。飲酒により、事件を起こす行動をとったのもこのコスモリズム周期のパターンによるものと考えられます。この周期パターンは約10年に1回あるかないかの周期リズムです。そこに、11月24日、25日が注意日にあたる伊藤リオンさんが関係し起こった事件だと思います。
『Fail1 コスモリズム事故分析 』
これまでの、事故においてもコスモリズムが予測した要注意日・注意日に事故が起きています。
事前にコスモリズムで要注意日、注意日を知っていたら事故は起こらなかったかもしれません。
ここでは、過去において事故を起こした方の分析を行っていきます。
1994年 5月1日 アイルトンセナさんの事故死の場合
生年月日:1960年3月21日
要注意日:5/1、2、29、30
注意日:5/6、7、9、10、15、16、21、22
セナさんの場合は、本人の生まれた時の月の形でもある一番の危険日の下弦の月時に死亡事故になってしまいました。セナさんは、自分の体調やイライラ感でなんとく危険日を感じていたのではないのでしょうか。何故ならレース前日から事故が発生しており心理的に不安定な状態であったといわれています。レース当日も恋人であるアドリアーナさんに「走りたくない」と話していたことがのちに語られていたそうです。
私、黒木月光の名の由来
黒木月光。
私の、これは本名である。おそらく、日本じゅうを探しても二人とはいない名前だろう。
一風変わったこの名前のおかげで、私は、大きな思恵にあずかってもいる。
初対面の人にもすぐ覚えてもらえるし、月日がたつてもまず忘れられることはない。
誰にとっても覚えやすく忘れがたい名前なのだろう。
同時に、親しみゃすい名前でもあるようだ。古くからの友人はもちろん、
同僚たちも私のことを、げっこうげっこう
「月光さん、月光さん」
と、親しげに呼んでくれる。親交の深まる度合も大きくなろうというものだ。
もっとも正しい読み方は「げつこう」ではなく「つきみつ」なのだが。
名づけ親は、祖父と父。名前そのものは、月光菩薩にあやかったものという。
しかしながら、子供時代、あまりに珍しい名前というのは当の本人にとって迷惑千万となる
ケースが多い。
私の場合もご多分にもれなかった・・・・・・・。
何しろ、当然のようについたアダ名が「月光仮面」だ。
友だちばかりか先生にまでそう呼ばれ、何かパカにされているようで、非常にやりきれない思いがしたことを
よく覚えている。また、病院の待合室で順番を待っているときなど、決まって、
「黒木ゲッコウさーん」
と呼ばれ、待合室じゅうの人にジロジロと顔を見られるのが常であった。
いまでこそ「ゲッコウさん」がむしろ気に入っている私だが、その当時は別である。
子供ごころに感じた恥ずかしさには、筆舌につくしがたいものがあった。
・・・・・・続く