「欠けた壺」 | ティル・ナ・ノーグ Tir na n-Og
本日Wさんから渡された手紙に、次のような英文が書かれていました。
このお話は発祥こそ定かではありませんが、アメリカでチェーンメールとして出回った物語だそうです。日本でチェーンメールというと、脅迫をほのめかしたり、あまり良いイメージはありません。しかしアメリカでは悪質なものだけでなく「心を癒す」目的でメールを回す風習があります。
この「欠けた壺(cracked pot)」もその中の一つで、とても大切なことが書かれている代表作です。少し長いので、小分けにして日本語訳してみましょう
(書き起こすのに10時間もかかってしまった

①An elderly Chinese woman had two large pots, each hung on the ends of a pole which she carried across her neck. One of the pots had a crack in it while the other pot was perfect and always delivered a full portion of water. At the end of the long walks from the stream to the house, the  cracked pot arrived only half full.

訳:とある中国のおばあさんは二つの大きな壺を持っていました。互いに棒の両端からぶらさげて、首にかけて持ち上げて運ぶそうです。一つの壺はとても完璧にできており水を充分に入れることができますが、もう一つの壺はヒビが入っています。そのため小川から水を汲んで、おばあさんが一生懸命歩いて家に着くころには、その欠けた壺からは完璧な壺の半分の水しか残せませんでした。

解釈:おばあさんは綺麗な壺とひび割れた壺の2つを持っています。壺の担ぎ方は、江戸時代の“水屋”を想像すれば分かりやすいでしょう

水屋

このうちの「欠けた壺(cracked pot)」「完璧な壺(perfect pot)」の半分しか水を運べないと冒頭文に書かれています。ちなみに“水屋”れっきとした職業で水汲み代行業者のようなものです。


②For a full two years this went on daily, with the woman bringing home only one and a half pots of water. Of course, the perfect pot was proud of its accomplishments. But the poor cracked pot was ashamed of its own imperfection, and miserable that it could only do half of what it had been made to do.

訳:おばあさんが水を汲んでは家に帰るという、大変な作業を行う日々を2年間続けました。もちろん、完璧な壺はその仕事を十二分に発揮しておばあさんに貢献しましたから、とても鼻高々です。しかし貧弱な欠けた壺は、自分が半分しか水を運べなかったことに悲観的になり、己の失敗を恥じていました。

解釈:物語の視点は「おばあさん」から「壺」たちに移ります。綺麗な壺はいつも満杯の水を家まで持っていけるのですから誇りに思っています。それとは裏腹に、ひび割れた壺は本来の半分の水しか届けられないことにコンプレックスを抱きます。さぞ悔しかったし、おばあさんに顔向けできなかったことでしょう。。。

③After two years of what it perceived to be bitter failure, it spoke to the woman one day by the stream.
'I am ashamed of myself, because this crack in my side causes water to leak out all the way back to your house.'
The old woman smiled, 'Did you notice that there are flowers on your side of the path, but not on the other pot's side?'
'That's  because I have always known about your flaw, so I planted flower seeds on your side of the path, and every day while we walk back, you water them.'

訳:そんな欠けた壺の失敗続きの2年が経ち、ある日欠けた壺は小川でおばあさんに話しかけました。
「ねぇ…おばあさん。わたしはとても恥ずかしい。だってヒビの間から水がこぼれて、おばあさんが家に帰る道中ずっと撒き散らしているんだもの」
おばあさんはニッコリ笑って言いました。
『あら、あなた気付いてないの?私が歩く小道の脇に、たくさんの花が咲いているでしょう。この花が咲いている片側には、常にあなたの壺があるのよ?』
続けて『私はね、あなたがひび割れていたことを初めから知っていたのよ。だからあなたを担ぐ側に敢えてお花の種を植えておいたの。あなたは知らず知らずのうちに、この花々に水を撒いていたんだよ。』と言いました。

解釈:劣等感を持っていた「欠けた壺」は、とうとう自分の情けなさをおばあさんに打ち明けます。だけど、おばあさんはそれを知っていて2年間使い続けました。いつも歩く小道の欠けた壺がくる側に花の種を蒔いていて、育てていたというのです。「欠けた壺」も開いた口が塞がらなかったでしょうね
かお

'For two years I have been able to pick these beautiful flowers  to decorate the table. Without you being just the way you are, there would not be this beauty to grace the house.'

訳:おばあさんはまた続けて欠けた壺にこう言いました。
『この2年間、私はいろんな美しい花を摘み取って、こうしてテーブルに飾ることができたんだ。ひびの割れたあなたがいなかったら、こんな風に家を彩ることなんてできやしなかったのさ』

解釈:途中から「完璧な壺」は一切登場しなくなりましたね。。。というのも「完璧な壺」の物語は②で終了しているのです。「非常に誇らしく、名誉ある栄光を手にしましたとさ。ちゃんちゃん♪」という感じです。この物語が伝えたいのはそういうことではなく、劣等感を持った「欠けた壺」“も”、おばあさんの役に立っていたというところに焦点を置かなくてはなりません。


─総論─
このお話を人に当てはめてみましょう。世の中に完璧な人はいますか?いるとすれば物語は半分で終了し、たったそれだけのつまらない人生を送ることになるでしょう。ですが欠点だと自分で思っていたことが、思いも寄らぬところで素晴らしい才華を発揮することがあることを教えてくれている、これこそこの物語の核心だと思います。

むしろ欠点がなければ人に影響を与えることは不可能でしょう。欠点の中に、価値は隠れているものです。もしそれを自分自身で自覚出来たら、新しい自分に出会えるかもしれません。

Wさんがこの紙を渡してくれたのは、そういう意味を含んでいたのかな?ちょっと個人的解釈が過ぎましたが、こんな受け止め方もいいんじゃないかと思えるようになりました
キャハハ


※英文訳および解釈は管理人が行いました。当記事のいかなる文章・画像の無断転載を禁じます。