“たったの”長い30分間… | ティル・ナ・ノーグ Tir na n-Og
昨日は闘病記事を上げられず、申し訳ございませんでした。

昨日は病院内で「おしゃべり会」みたいな催しがあり、(強制的に)参加(させられ)しました。内容は、言ってしまえばお茶を飲みながら近況などを報告する、ただの雑談会です。


なんでこんな面倒なことに付き合わなければならんのだ…最初はそう思っていました。

集まった人数は10人もいかないくらい。もちろん私が最年少で、60歳代の方もいました。同じ病気を抱えている者同士での話し合い──ひとり一人が想いの詰まった体験談を語ってくれました。たった30分の長い時間に、私は感極まって泣きました。


ある人が『自分は病気を抱えて10余年になります。今でも後悔していることがあります。今は亡き父母に、僕が病気であることを知らせなかったんです』と言いました。その方は、ただただ孝行息子でありたいと思う気持ちが強かったため、発病しても親には口に出さず、ひたすら独りで病魔と闘ってきたそうです。まるで私のような生き方をしている人でした。
『そんな事を言ってしまったら、親不孝な息子だと思われるのがすごく怖かった。だから溜め込んでました。僕は……父母に、もう一度甘えたかった』
父母はこの度の震災で…。もう甘えられる人がいない。これからもずっとその「後悔」を背負って生きていかなければならない。悔しいし、悲しい。

「だったらこの病院の人に甘えたらどうですか?」なんて言えるわけがありません。「甘える」事の意味が全く違います。私がこの方の立場だったら、間違いなく命を絶っていたでしょう。。。
否応なしに襲い掛かる心の負担は、筆舌に尽くしがたい。でもその方は泣きながらも“笑って”話していました。

『僕はね、この命が朽ちるまで生き続けますよ。それが今の僕にできる最高の親孝行ですから…!』

在り来たりな言葉でも、彼から発せられた言葉には重みがあり、信念があり、躍動があり、未来がありました。言葉の原動力って、無尽蔵のパワーを秘めているのだと感じました。そう感じたのは多分、私だけではないでしょう。


その場だからこそ言える言葉・エピソード。


ある方が言いました。『病室にいると、どうしても消えたいと思ってしまいます。だっていつまでも病院にすがりついていて、何にも役に立ってないのだから』と。大の大人が“すがること=恥”と感じてしまって、いつまでも恥を欠きっ放しなら、もう病院に居たくない……外界に出られても生きる術がないから、そのままスッと消えてしまいたい。一つ一つ紡がれた言葉は、出来上がってみれば「悲痛の叫び」になっていました。
『こんな年になるとね、時間なんてとても恨めしいものでしかないの。いつかは滅びる命なら、わたしはいつでも好きな時に命を捨ててもいいと思っています』
私はその瞬間、何のリアクションも取ることができませんでした。人生の先輩に、かける言葉が見つからなかった。悔しい…。
だけど、すごく自分に厳しい人なんだなということは感じ取れました。私のように自己陶酔している人間には到底できない。いつも簡単な事を成し遂げたことで一喜一憂して、自分にご褒美をあげたくなってしまう、私とは正反対の方でした。どっちが偉いかなんて聞かれたら、お世辞なしに私は間違いなくその人を選ぶでしょう。

だって「それでも生きている」のだから。どんな理由があれども、私はその人に絶対生きて欲しいと思い、自分の性分を話しました。
『自分を甘やかすの?ふふっ…難しい課題だね』
自分に厳しい人は限界を作る。今度はその限界をぶち破る(破壊する)ことを目標に、精一杯生きていくと言ってくれました。


個人の気持ちなんて、互いにピア
らぶ(共有)できる人にしか話せない。ここで生まれた絆は、それぞれの心の畑に新しい息吹をもたらすに違いないでしょう。若かろうが老いしかろうが心はリンクし合ってますから、一人で悩んではいけないのだと痛感させられました。


私から今日伝えられるのはココマデ。。。また明日、お目にかかりましょう
かお2