痛みを知ることでも、
自分がその痛みを体験することと、
他人の痛みを伝え聞くことでは、
大きな違いが生まれる。
人は自分の体験を通して、
現実を認識しているため、
過去に自分が何を経験しているかで、
他人の痛みを理解する時の臨場感が全く異なる。
どこか他人事のように表面上で、
大変だねと同情する人は、
本当の意味で痛みを知らない。
まるで自分の事のように、
真剣に相手を思いやれる人は、
同じ体験をして苦しんだ経験がある。
同じ経験をしていなくても、
周囲の人より苦労を重ねてきた人は、
困難を乗り越える時の大変さをよく知っている。
安全地帯に居続けてきたのか、
ただ単に運が良かっただけなのか、
痛みを知らない人の言動が、
社会の閉塞感を助長している様に感じる。
既に充分過ぎるほどの豊かさを生み出せる時代に、
未だに自分より苦しんでいる人へ、
手を差し伸べることをしない人がいる。
何故かは分からないが、
そういう人は世界から取り残されてしまう気がする。
根拠?無いよ?
たまに勘で喋ってるから。
唐突だが、
私は、よく周囲から運が良いと言われる。
確かに自分でも運が良すぎるとは思う。
何故か望む時に、望む人に出逢ったり、
あ~死ぬかもって時でも不思議と、
危機から助けてくれる出来事が起きてしまう。
傍から見てどうかは傍観者達の自由だけれど、
勝手に起こるのだからどうしようもない、
だが決して、私利私欲に運を使いたいとは思わない。
どうせなら、自分と自分以外の人の痛みを
心から思いやれる人達でいっぱいの、
世界や社会を築くことに使いたいと思う。
久々に13年も前に買った本を取り出して読んでると、
当時の思い出や、今なら深く理解できる言葉がたくさんあった。
売りも捨てもしなかったのは、
無意識で自分にとって大切な事だと感じていたのかもしれない、
確かに今の自分をも勇気づけてくれたのだから。
理想を想い描いて日々進み続けることは、
やっぱりやめられそうにない。
(゜∀゜)それこそが自分だから!!




