はい、後期の講義、1年ぶりでゴザイマス。私は覚えが悪いので毎年受講しています。
いつもの導入の雑談w(実は配信の機械の調子とかの確認も兼ねてらっしゃいます)
で、リアルの教室の学生の皆さん、、、めっちゃ多い💦💦💦
教室の様子がまだ映ってないうちに、いつもよりは僅かにお客さん的なテンションで入ってて安堵しました。
初回はラプラス変換です。前期の応用数学Aでしましたフーリエとの対比から始まりました。
12:00ー12:45のお昼休憩をはさんで大学院の方の講義。
ここで院試(8月にあります。)を経た学生さんが「予めどんな勉強をすれば💦💦」とかいっぱい質問にこられる時期なのだそう。
けれど大関先生『最初からそんな根詰めたら潰れちゃうよ?そうしなくてももともとみんな真面目でやりすぎなんだからw』とのこと。
はい、私、とっても気負いまして、ロンダリングと言われるような、どんどん偏差値の高い大学院に編入学してきたものですから、学部で履修した単位に抜けというかズレというかそのようなものがありますので、
基礎が出来ていないのは解ってますし、ついていくためにも、余暇は基礎固めに使わないと到底💦って感じでスタートダッシュしましたです。
。。。。で、あれもこれもめっちゃ根詰めて。。。。
はい、みなさんに公表している通り、博士論文を、、、ってところで激鬱になりまして、そのまま休学と留年を繰り返し、在籍可能年限を消化しきってしまいました。。。
復学出来ませんでした。。。。
疎外感が怖かったんです。。。
皆が解っていること、自分だけわかっていない。
私だけ一度社会に出てからの学生。(社会人入試枠じゃなくて一般入試でちゃんと合格いただきました!)
だから、現役の若い、力ありまくりの学生君たちについていきたかったんです。。。そうでないと学位に繋がらない。。。
学位取得(予定)じゃないと研究所とか学術界に残れない。。。
でもまあ、客観的に正しく振り返ったら、『よく生きてたなあ。。。一歩間違えたら。。。』なことを、私個人としても、子どもたちも、(重ねて)遭遇してしまった日々だったので、
過去は過去として、起こってしまったことを、ちょっと置いておけるような気がしました。
喫緊で先月事件に巻き込まれたので、そう思ったら、こうして受講できる日を迎えられたこと、素直にそのまま幸せだと実感しよう。。。💗って思えました。
今、ちょっとずつやっている本(量子コンピュータの基礎)も間があいていて、板書不安だったけど、まあまあ字や記号が乱れていなかったし。。。
まずは、今日、3コマ受講できること、
出来たら、もしかしたら、最後まで受講しきれること、
が目標だったので、
それが達成出来て嬉しかったです。
理解できたかは別としてw(いつも、「独りで何も見ないで先生が導出された式を書けたら理解できたとする」みたいなハードル高すぎ設定していましたwww)
で、3コマ目w
どうにかこうにかwww
結構辛かったんだけど踏ん張ってましたwww
終了間近の16:00ごろ(終了は16:10)に、集中力がもたない、、、って、わかりました。
ノートに記載しましたw
でも、残り10分、最後の力を振り絞り、、、、しました。。。
疲れすぎ~。。。。。💦💦💦
頑張りすぎ~。。。。。💦💦💦
でも、幸せな疲労💗
頭がよくないほうなのは解ってる。子どものころから地頭がよくないのも解ってる。
親族誰も大学院なんて行ってないし、理系も皆無。
小さいころにいとこたちと何かと比較され、劣勢にしかいなかった。
おじやおばたち、なんで、なんでもじぶんの子たちを競争させた(比較した)んだろ。。。
解らないけど、そうだった。。。
だから人様がどう評価してくださろうと、私は私であることがすんごいコンプレックスです。
(評価や比較するさいに、人格否定されることもあった。語彙(の相)も貧困な人たちだったからだけど、ちいさいころに受けた傷って本当にぬぐえない。。。しかもなかなか切れない親族からされたからね。)
だから、ずっと勉強している。
大学受験失敗したときは、本当に生きていけないって思った。
(ずっと言われたし、母には「私の人生返せ」って言われたし。←なんでこう言うのかな?解らないけどすんごいショックを受けた。)
母の人生をかえすことは出来ないから、勉強できるようになり続けたいと思っていました。
今の受験でも、旧帝大には合格するくらいの学力維持したいんだと思います。
。。。
それこそ客観的に振り返ったら、大学院に進学して、どなたも学部の入試再受験なさらないのにwwww
娘ちゃんなんか、PMDDから精神疾患になっちゃって、急性期が10年くらい続いたから、
自分のコンプレックスとかそんなこと言ってられないから、
それこそ、研究生活で培った体力で、昼夜問わず、緊急対応していた。。。
おかあさん専念した。。。
いいよね、だから、その期間、研究できなかった、というか、当時の仲間についていけなくなったとしても。
DVで離別して(地方裁判所まで行きました。)親にも頼れず、離れて暮らしてきて、本当に何もなくて知り合いから古着いただいて、割引の食材しか買えなくて、家財道具もまともに揃っていない、昭和30年代終わりごろに建ったURの2Kからスタートした母子3人の生活。
子どもたちの命への重圧で、怖くて怖くて、膝を抱えて眠れなかった。。。
最後は、まだ小さい小さい息子君を抱きしめて、、、いや、彼にしがみついて仮眠取りました。。。
(まだ裁判続いていたし。。。)
それから一念発起でパートしながら進学するんだけど、やっぱり頑張りすぎだったかな。。。
そのまま頑張りすぎて京都に移り住んでしまって。。。
退路を断って。。。。
(母には人生をかえせないから、実家に戻れないと思った。新築の家を購入してすぐ家を出て、そのあと父が亡くなって、、、母の強い感情を父がなだめてくれていたから、もう帰れないと思った。)
だから、進学先で仲間つくらないと、本当に孤立だったんだよ。。。
子どもたちもそう。。。
だけど、虐めにあった。。。。
今思えばなんでそんな目に遭わないといけなかったのかな。。。
そんなこんなだから、つい自分を責める癖が母子3人でついているようで、
無理をするのが当たり前で、
、、、、、
もういいよね。
今まで命を繋げられたんだから、頑張らなくていいよね。。。
理(ことわり)の不思議な世界を知りたいだけなんだ。
ワンちゃんや鳥さんとお話するように、
数理や量子とお話したいだけなんだ。。。
お話したいから、特性を知りたい。。。
どうしたら理解できるかな。。。って。
だって、数学とか物理とか、すぐ怒ったり感情的になったり、
酷いグサグサくる言葉言わないもん。
人格否定してこないもん。
ただただありのままを示してくれるだけだもの。
だからこわくない。
あ、着地点どこ行ったんだ???www
でも、こういうトリガは嬉しい。。。
勉強すると、そっち方面の閃きというか、そういうのが出来るようになる。
『だからか~💡』とか『悩まないで良かったんだ~💡』とか、
『私のせいじゃなかったんだ~💡』とかwww
さ、ぶっ倒れよwww