妊娠7か月のころから発育不全で入院しました。
8か月過ぎに一度退院しましたが、恐れていた高血圧症(昔は妊娠中毒症といいました)が強く出てきました。
予定日のころに血圧は160になり検診から帰らせてもらえませんでした。
尿蛋白は3600を超えていたと思います。
血圧と浮腫みがおさまらないまま、陣痛が来てしまいました。。。けれど微弱陣痛が長く続き(もう当時から過緊張だったと思います)、それがストレスになって、もっと血圧が上がってしまいました。。。
朝の6時ごろから痛み出して、、、、夜の22時に陣痛室に移動、、、、ってところで再度血圧とかはかると、180くらいになっていたそうです。。。そのまま出産を迎えるともっと高くなって脳出血の危険性が出て来たのと、胎児の心拍が落ちてきたので、急遽帝王切開となりました。
極度の貧血もあって、出来れは切りたくなかったそうですが、そんなこと言ってられない状態になりました。
手術室のスタッフが急遽呼びだされたそうです。その人たちの到着を待って手術室へ移動。。。。
ところが体をまあるくしても、浮腫が酷くて、脊椎に針がうまく入らない。。。進んでいく陣痛。。。胎児が降りて来たのだと思いますが、「あ、なんか、お尻のほうに挟まっている感覚。。。」ってなりました。
やっとこさ麻酔を投入して、確認しても痛覚はそのまま。何度やってもそのまま。(咳喘息が判明していなかったけれど、麻酔や造影剤との相性が悪いのはこの入院で思い知らされます。。。もしかしたらこれでアナフィラキシーになったのかも。。。)
お医者さんが「ごめん!挿管させて!!!」といい、そのまま落ちました。。。。。
当時は、挿管て解らなかったので、「ソウカン???総合的なナントカ???」って思ったとたん落ちました。。。
麻酔から覚めたら全身麻酔はいきなり痛みが凄い走ります。それもあるけど、何って、体が動きませんでした。抜管した際に、何かがのどに詰まった感じがあったんだけど、息が吸えない。。。。
え。え。え。え。吸えないんですけど💦頭とか喉とか動かないんですけど💦💦💦
で再び墜落。。。。(意識なくしたんだと思います。)
この時の抜管の際ののどの違和感とか、動かない感じとか、息が吸えない感じとか、、、もしかしたらアナフィラキシーだったのかも、、、と今なら思いますが、当時はそこまで厳密な理解は無かったし、何より脳出血防止で急遽胎児を出すことが最優先だったので、、、、
だけど、事実として、先に娘が保育器で出て、麻酔が回ってしまった娘は泣きもせず。だから実母が、ダメだと思って、私にどう伝えたらいいか、って思ったところ、看護師さんが、「実は娘さん(私)の方(の状態)がちょっと、、、」といったそうで、2度腰を抜かしたそうです。。。
2回目に起こされたときは、顔が動いたので、詰まっていたものをペッって出来ました。そのとき枕元の看護師さんが「動きました!!!!」って言ってました。。。目は見えないけれど音(声)は聴こえていました。。。
知らされていないけど、、、「あ、、、短い人生だったな、、、」って息が出来ずに墜落して、そのあと誰か知らないおばちゃんがこっちふりむいてニコってして、「え?だあれ?」ってなって起こされて(意識が戻って)顔が動いたから、、、、
えっと、、、結構もしかしたら、蘇生とか、、、あったのかもしれません、、、、
この時から麻酔が本当に怖くて怖くて、、、、産後歯科医での麻酔もトラウマで受けられない年月がありました、、、
娘ちゃんは2000gくらいで生まれました。40週ぴったりだったのに。胎盤がうまく機能してなかったのだと思います。高血圧症で。黄疸が酷く光線治療も12時間したし、、、、など色んな報告を病室(個室)に小児科の先生とか、私の腎臓の方の先生(泌尿器科)とかがいらしたので、
「みなさん来てくれる、、、ってVIP待遇だ~、、、」って思っていたけど、それだけ悪かったのだと思います。
しばらく夜になると血圧が上がることが日常で、その数値を見て、看護師さんが舌下剤を取りに走って行かれる毎日。尿蛋白も出まくって、一過性だろうけどネフローゼ状態になって、最後はタンパク質を点滴で入れる治療もありました。。。全身点滴だらけ。術後のあるくとか全くできず。傷も癒着しまくり。。。。
出産して5日くらい娘に会えませんでした。。。。。あんな状態だったので、産声も聴いていません。。。。
網膜も浮腫がいって、視界がぼやけたまま。。。。検査してもらって、造影剤が合わなくて、倒れてしまったり、、、ほんと難儀なカラダです。。。視界のぼやけ具合を当時の検査の人が「老眼になったらこうなるんだよー。今老眼になってしまっている感じ。」って言われました。。。
術後の子宮収縮の薬が合わなくて、脂汗がでるくらい痛くて、最初は耐えていたんだけど(必要なんだと思ったから)、その痛みを耐えるために、全身に力が入って、血圧が上がってしまう、、、という悪循環になって、ついに、
「おねがいですから、その点滴、本当にやめてもらえますか。。。もう耐えられません。。。」って言って止めてもらいました。。
よく考えたら初産なので、そこまで収縮かけなくても、、、って今なら思いますが当時のその産科の先生の考え方は、使えるものはバンバン使おう、という方針でした。。。
(下の息子君の時は、方針が変わって自然治癒になって、怖い痛い点滴は打たなくてもよくなりました。。。めっちゃ健康管理して、高血圧症にならなかったし。)
入院は40日以上になりました。。。。ガチで命がけで産んだ子です。
けれど、中高生になって、自分をいっぱい傷つける病気になってしまって、、、、(苦しいからそれから逃れたくて自傷してしまうのだそうです。。。)
若くて美しい肌にいっぱい傷があって、中には縫合傷も。。。(ケロイド体質なのが似てしまった💦💦)
今では冗談で🎵あね、さん、ろっかく、たこ、にしき~。し、あや、ぶっ、たか、、、🎵って京都の通りの歌を歌いながら傷の線を数えれますけどwww
とにかく、生きて迎えられたこと、ありがとう。。。感謝です。。。
(なのに、そんな大事な日なのに、自治会の予後。。。がまだ続いていて、、、また京都府警に相談、、、他の役員さんは面倒なことに巻き込まれたくない気持ちが勝っていて、「もう言ってこないで。ストレスです。」って言われました泣)
暴君の父のもとに生まれて(時代もあるんだろうけど)、DV離婚して、アカハラにあって、今回もハラスメント気質、粘着気質な会長と遭遇しちゃって。。。。
被害受けてばかりの人生を悲しく思います。
「小さいころ、おかあさんが暴力ふるわれているのをただ見ているしかなかった。何もできなかったから、今は僕が盾になる」と息子君は言ってくれるけど、暴力沙汰は目にしちゃう側も二次被害者になってしまうし、私は本当にそういうのダメなもんで。。。。
せっかく生まれたいのち。
うまれるときからたすけてもらったいのち。
ただおだやかに、すこやかに。
トラウマも障害もあるけど、それらを受け容れて、ありのままに。
けっしてたにんさまに害をこちらから与えることしないし。
だから、だから、そうっと息をするようにくらい、穏やかに鎮かに生きさせてはもらえませんでしょうか。。。
せつにおねがいします。。。
(ってだれにいえばいいのかなあ。。。。)