楽しい時間を過ごしていた僕たちなのだが、突拍子もない、タイミングで事件は起こる。
あれは、2年程前。
僕は会社の人達と飲みに行く約束をしていた。
彼女も、たまにはのんびり飲んできてといって、送り出してくれた。
今、思えば、何故あのとき、僕は彼女の不安を感じることができなかったのだろうか。
生きていることに必死といえば、必死だったんだが、あくまで、僕の人生は彼女とともに歩んでいく人生が大前提だった。
大事なパートナーが不安で、苦しんでいることを気づかないなんて、能天気にも程がある。。。
その日、飲み会を楽しみ二していた僕のもとに、彼女から、一本のメールが
「今日早く帰ってきてもらえない?」
今迄、そんなことを一度たりとも言ったことない彼女だったので、変な胸騒ぎが僕を襲った。
何があったのだろうか。
仕事中でもあったのだが、矢も楯もたまらず、急ぎで、彼女に電話をしました。
僕は、約4年前に東京にやってきた。
それ迄は関西にいて、きっとずっと関西で働くのだろうと思っていた。
だけど、ふとしたきっかけで、東京に来ることになった。
31歳にして、転職による、東京進出。
色々と悩むことはあったし、31歳で、3社目って言うのも少し、キツい感じだった。
その当時の彼女とも相談した。
これがきっかけに別れることになっても仕方が無いと思っていた。
とても素敵な子だったので、もっとしっかりとした人と幸せになればいいとも思っていた。
だけど、彼女の出した答えは、一緒に東京にいくってことだった。
嬉しい反面、怖いと思った。
この子を幸せにできるのだろうか、と。
仕事は退職ぎりぎり迄あったので、とりあえず、両親にご挨拶をし、互いの両親の挨拶の場を設け、引っ越しすることにした。
思えば、このときに籍も入れておけばよかったと、今痛烈に反省している。
だとしたら、きっと違った現実になっていたんだろうな。
そんな反省をしても仕方がないけれど。。。
でも、初めて、二人での生活。
とても幸せな日々だった。
とりたてて、何かをしたというわけではないけれど、とても幸せな日々だった。
毎日、このささやかな幸せに感謝し、いつまでも続きますようにと祈っていた。
そして 、それがずっと続くと信じていた。。。
それ迄は関西にいて、きっとずっと関西で働くのだろうと思っていた。
だけど、ふとしたきっかけで、東京に来ることになった。
31歳にして、転職による、東京進出。
色々と悩むことはあったし、31歳で、3社目って言うのも少し、キツい感じだった。
その当時の彼女とも相談した。
これがきっかけに別れることになっても仕方が無いと思っていた。
とても素敵な子だったので、もっとしっかりとした人と幸せになればいいとも思っていた。
だけど、彼女の出した答えは、一緒に東京にいくってことだった。
嬉しい反面、怖いと思った。
この子を幸せにできるのだろうか、と。
仕事は退職ぎりぎり迄あったので、とりあえず、両親にご挨拶をし、互いの両親の挨拶の場を設け、引っ越しすることにした。
思えば、このときに籍も入れておけばよかったと、今痛烈に反省している。
だとしたら、きっと違った現実になっていたんだろうな。
そんな反省をしても仕方がないけれど。。。
でも、初めて、二人での生活。
とても幸せな日々だった。
とりたてて、何かをしたというわけではないけれど、とても幸せな日々だった。
毎日、このささやかな幸せに感謝し、いつまでも続きますようにと祈っていた。
そして 、それがずっと続くと信じていた。。。
記憶の検索。
記憶を忘れるシステム(忘却)には、色々な通説があります。
時間と共に記憶を失う忘却説、新しい記憶によって古い記憶が失われる干渉説、そして、記憶そのものは消えないが、記憶を探し出す方法を忘れてしまう検索失敗説。
どれが正しいだとか、関係ない。
僕は検索失敗説であって欲しいと痛烈に思っている。
失われたくない記憶がある。
だから、、このブログは大事な記憶を失わない為の検索方法を書き留めるいたって私的なものです。
別にブログにしなくても。。。とは思ったが、万が一僕が検索手法を書き留めていたものを忘れたとしても、ブログにしておけば、何かのきっかけで思い出すかもしれないと思い、ブログという形式にした。
何の因果か、このブログにたどり着いた方。
至って私的なもので、申し訳ございません。
また、ひょっとしたら、これを書いている人はあいつじゃない?とピーンときた方。
そのままにしておいてください。
多分読まない方が、今迄通りの付き合いができるさ。
このブログは僕のことを知っていたら、あまりにも、重くて、暗くいものになるから。
とりあえず、時系列もなにも関係なく、検索できるように色々と不定期に書いていきます。
たとえ、その作業が、自身の傷をえぐるような作業であったとしても。。。