今日は、大分体調が良くなってきた。
やっぱり、回復するのに1週間はかかるんだなぁ・・・

ふと、思ったこと。
今日という1日は、みんなに平等に与えられた1日。
病気だとか健康だとか、そういうことに関係なく、人はいつか必ず死ぬものだから。
生きている限り、みんな、1日1日、死に近づいている。

出来る事は限られているけれど、全く何も出来ない訳じゃない。
出来る事を、出来るうちにやろう・・・生きているうちに。


主治医から、抗がん剤治療を強く勧められた時のこと。

「このままだと、あと1年くらいですかね~。」とカマをかけた私に、
「このまま(無治療)だと、1年はもたない。」と主治医は言った。
月単位になる、と。
肝転移、肺転移のほか、ひだり鎖骨付近のリンパ節転移がたくさんあって、左腕の浮腫みと強い痛みがあった。
自覚していたのはそれくらいだったので、その時は、肝臓で死ぬのかな?と思っていた。

9月19日に、呼吸器内科の医師から、「癌性リンパ管症」という言葉を聞いて、ネットで調べてみた。
余命3ヶ月・・・うそでしょ?
在宅酸素を始めたのが4月だから、そろそろ半年になる。
KL-6の値も2000と高かったし、自分としては、間質性肺炎が悪化したから酸素療法になったものと思っていた。
確かに、身障者手帳の申請書には「癌性リンパ管症」って書いてあったけど・・・

どうりで主治医が焦っていたわけだ。
「治療の時期を逃すと良くない。」
私は、代替療法でなんとか治らないかと、食事療法、ホルミシス、鍼やエネルギー・ヒーリングなど、自分に出来る事をやっていた。
費用がかかるものは続けられないので、高濃度ビタミンCなんかはやらなかった。
でも、毎月腫瘍マーカーは上がり続け、鎖骨の腫瘍は大きくなっていった。

免疫科の医師の「乳ガンは、抗がん剤が効くから。自分の家族だったら抗がん剤治療を受けさせる。」という親身の言葉も後押しして、治療に踏み切ったのが8月の初めだった。

7月中旬には、長女がもらってきた風邪が感染って、肺炎になった。
去年も同じ頃に肺炎になり、去年よりは軽かったので、抗生剤を飲んで自宅療養した。
2週間近く熱が下がらなくて、寝たきりだったけど。
今思うと、かな~りヤバかったのね。
癌性リンパ管症が急速に悪化していたら、今頃死んでたかも・・・
「やっぱり、根が丈夫なんだね~。」と主人と共に納得。

最近、息切れや咳が多くなったのも、抗がん剤の副作用かと思っていたけれど、ゆっくり進行しているのかもしれない。
抗がん剤が効いて、肺の腫瘍がなくなればいいのだけれど、それまでは急変に備えておく必要があるんだな・・・

次女の高校受験と入学式、それまで頑張らないとね!

ところで、今日は、ダルい・・・
点滴から5日めなのになぁ。

タヒボ茶やビワの葉灸の効果を調べようと、ブログをサーフィンしていたら・・・

「家族も患者なんです」という記事を見つけた。
Aさん(仮称)は、お母さんが肺癌になり、仕事を辞めて1年間介護したらしい。
1日に3回野菜ジュースを作り、食事療法を徹底的に行なって、コンニャク湿布、ビワ葉灸、タヒボ茶などなど、お母さんに文句を言われながらも、回復を願って、頑張って面倒をみていた。
お父さんは、すでに膵臓癌で亡くなっていた。
Aさんには、弟さんもいたのだが、お母さんが亡くなって、1週間も経たないうちに、自殺してしまったそうだ。
弟さんにとって、お母さんは、生きる支えになっていたらしい。
Aさんは、一人ぼっちになってしまった。


私は・・・
癌による左腕の痛みで、夜中に何度も目が覚め、痛み止めも殆ど効かない。
車が運転できず、歩行困難もあり、ひとりで通院できない。
余命数ヶ月からくる焦りと不安。次女は高校受験なのに・・・
料理も洗濯も、私が声を掛けないと出来ない状態で、夫へのイライラが募る。

ガマンも限界で、ちょっとでも嫌なことがあると主人に八つ当たりをしたり、子供に愚痴を言ったり、ひとりで涙を流したり・・・
こんな状態だったので、夫に仕事を辞めて、家事と介護をしてもらいたいと考えていた。

だが、この記事を読んで、私が間違っていたことに気付いた。
主人も子供たちも、私が死んでしまうことをとても恐れ、悲しんでいる。
私の病気で、家族の人生が狂うようなことはあってはならない。
私が死んだ後も、主人は仕事を続けて、子供たちは将来の夢を追いかけて、家族で支えあって、前向きに生きて行って欲しい。
だから、私も、なるべく明るい気持ちで過ごすことにした。
手を借りなければならない事ばかりだけれど、何かしてもらったら、ちゃんとお礼を言おう。
してくれなかった事に、腹を立てない。
苦しいことや辛いことがあっても、頑張って耐えよう。
残りの時間を幸せなものにしよう!
大切な家族を患者にしないために。