母子家庭の崩壊
21歳で婿どのが他界してしまい、生後半年の子供と二人になった長女。
そもそも、産後うつで調子が悪かった長女は仕事をしていなかった。
産後すぐにショートステイを利用し、区役所の保健師さんからアドバイスをもらいながらの初めての育児を頑張る長女。
わたしも側にいたから、家事の支援は全面的にやっていたけれど、仕事に発達障害児、うつ病を抱えるわたしにも限界があった
経済的な支援はまだ2人を育てている我が家では厳しく、婿どのが他界してしまったこともあり、長女は子供を育てるために、仕事を始めるしかなかった。
コミュニケーションが苦手な長女は、仕事選びも限定的でなかなか見つからない
やっと見つけたのは工場作業の仕事これなら人とほとんど関わることもなく、長女も安心して勤められるかなと思った。
すぐに仕事を始められる状況となり、子供を保育園へ預けて仕事へ行くようになる。
帰宅後、子供のお世話を頑張り、日中は仕事を頑張る長女
我が子ながら成長したなーと感動当たり前のことだけど、長女の成長はかなりのもの。数年前まで引きこもり生活をしていたのがうそのよう。
しかし
仕事を開始して半年が過ぎたころ、長女が仕事場に対して不満をもらし始める
人間関係のトラブルに遠巻きに巻き込まれ始める
その間に長女は家を離れ、子供と二人の生活を始めていたこともあり、疲れからか仕事へ足が遠のき始める。
このままでは仕事を辞めてしまうのでは??不安に思っていたところ、仕事を辞めていたことが判明!!
どうするの生活費??
区役所へすぐに相談するよう伝え、長女は病院を受診することに。
診断は気分障害のうつ症状がひどい状況
仕事へ今すぐ就ける状態では無いことがわかり、遺族年金で何とか最低限度の生活を・・・月6万では家賃代であとは何も残らないことがわかり、区役所の担当者からの提案で、病状が安定して仕事ができるようになるまでは、生活保護を受けることに。
家賃分の保護を受けることができ、なんとか金銭的には安心できる環境となった。
そのまま月日が流れると子供も成長してきて、3歳元気に育ってくれていることに安心をしていた。
けれど
3歳と言えば自我がしっかりとしてきて、言葉も通じるようになってくる。でも当然すべてを理解できるわけでは無く、やんちゃ盛りの頃
長女が体調を悪化させ、保育園へ連れていく事が難しくなり、家に子供とこもることが多くなる。
ヘルパーさんの支援を受けて、保育園へ行くことができる日もあったが、長女は薬の副作用もあり、日中寝てしまうことが増えてきた。
3歳の子供、親が寝ている。当然暇になり何か面白い物がないかと散策が始まる。
誰もみていないため、好き放題に物をちらかし、ついには長女のメイク道具を触ってしまい、部屋の中がクリームまみれになっていたり、口紅で落書きをしてみたりと大変な状況になってしまった。(すでに育児ができていない、ネグレクト状態)
保育園にも行けずに外に出ることができない子供。わたしも休みに連れ出し公園へ連れて行ったりするも、次男が赤ちゃん返りをする事態に食べ物を購入し家へ届けたりしたが、思うように支援ができないまま、ついに限界が。
長女も育児ができないと状況を理解し、区役所の担当者から勧められていた通りに、養護施設へ一度預け、体調を完全に良くしてから、安定した環境を整えることを優先することを選択。
児童相談所の担当者がその日のうちに、保育園からそのまま養護施設へ子供を連れていく事に。
養護施設は短期間いられる場所で、面会は原則できないらしい。
その間に家庭に戻ることができない場合は、児童施設か里親のもとへ移動となる。
心が張り裂けそうな痛みを感じながら、自分の無力感にわたしも落ち込むけれど、子供にとっては安心した環境で、食事も三食もらえる環境は今はベストだと信じ、長女の回復に全力を注ぐことに。
次回は少しずつ回復する長女と子供について書きたいと思います。
ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございました