アメリカ南部のテキサス~メキシコに分布する1年性の植物。開花期は主に春~夏で直径2mほどでキク科らしい形の黄色い花をたくさん咲かせる。
おおむね、どのHPでも同じような解説
日当たりがいいこのお家の庭では野草化して一面に広がっている。
庄下川沿いでは路傍の花になっているところもあるが、湿気は嫌いなようで、庄下川の植物にはなっていない。
川西らしい風景↑ 遠くには山の中腹の家並みが見える。JR宝塚線沿いの場所
府県をまたぐ外出を避けるなら、神戸線で神戸行に乗車して西宮北口で、今津線に乗り換え、
宝塚で、もう一度宝塚線に乗り替えても川西能勢口へ到達可能。
これなら兵庫県を出ずに済むが、乗り換えが2回になるので、十三経由を選択。
車内でのソーシャル・ディスタンスは十分。
(中国では社交的距離と表現。「社会的距離」よりいいように思う。)
川西能勢口駅前の観光案内板 ↓坂田の金時さん
↓JR駅へ向かう回廊の柵に
ナイチンゲール像
観音様扱いである。
ある宗教団体が建立したもののよう。市の観光案内に載せるべきかどうか迷いもあったかも
ここにも1本ヒトツバタゴの木。花は散って地上に花屑が残っていた。
傍には↓のような慰霊塔もある。
小戸神社
尼崎66社とそれ以外の大楠神社や愛宕権現を含めてもこれほどささやかな神社はないが
「式内社」である。(尼崎では伊佐具神社のみ)
小戸神社(おおべじんじゃ)は、兵庫県川西市小戸に鎮座する神社。摂津国河辺郡の式内社。『特選神名牒』には「おべ」とあるが、現在は「おおべ」と呼ばれている。
『摂津名所図会』に「小戸村にあり。『延喜式(神名帳)』に出づ。小戸・栄根・小花等の産土神なり。土人、小部天神と称す」とあり、猪名川の西岸一帯の産土神として崇敬されていた。
銭谷五兵衛の碑が目立つ
銭屋 五兵衛(ぜにや ごへえ、安永2年11月25日(1774年1月7日) - 嘉永5年11月21日(1852年12月31日)は、江戸時代後期の加賀の商人、海運業者。金沢藩の御用商人を務めた。
- 目貼剥ぐ銭五の町に住み古りて 木下咲子
- 銭五とは銭屋五兵衛のこと。多分この句の町は、川西ではなく金沢だと思う
銭屋は戦国時代に滅亡した朝倉氏の末裔を称し、初代の吉右衛門が金沢に移住して以来、両替商のほか醤油醸造・古着商などを手広く営んだ家系であった。父(五兵衛)が金沢の外港である宮腰を本拠に海運業を始めたが、不振となりいったん廃業。子の五兵衛が39歳の時、質流れの船を調達して海運業を再開した(文化8年(1811年ごろ))。
宮腰(現在の金石)は当時隆盛した北前船航路の重要な中継港であり、米の売買を中心に商いを拡げ、最盛期には千石積みの持ち船を20艘以上、全所有船舶200艘を所有し、全国に34店舗の支店を構える豪商となった。ライバル商人との商戦や、船の難破などの苦難、各地での商売の様子など、五兵衛の商業記録は彼の手記『年々留』に詳細に記されている。また、各地の用地を買収して新田開発事業や、支店を開設するなど業種・商業圏を拡げ、将来の経済界の変動に備えたリスクヘッジも行っていた。
誘ってくれた友人
実は高校では一年先輩
駅前で、これまた3か月振りの外食。わんこそば。5皿であったが5種の豪華な?具つき。温泉卵、野沢菜風漬物、とろろ、大根すりおろし
JR芦屋駅前と似た雰囲気