御願塚上の神社の本殿

その前の阿吽の狛獅子の寄贈者名

若方座中と読める。

氏子中をうじこじゅうと読むのを知ったのは、5、6年前だと思うが、↑の場合はざちゅうと読むのかどうか。

 

↓氏神について(Wikipedia)

本来の氏神は、読んで字のごとく氏名(うじな)の神であり、一族一統の神であった。[1]古代から、その氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった[2]。例として、中臣氏天児屋命建御雷神忌部氏天太玉命[2]宇佐氏八幡神物部氏須佐之男命経津主神三輪氏大物主神諏訪氏建御名方神安曇氏綿津見神を祀る。源氏の氏神は八幡神となる。[3]

中世以降、氏神の周辺に住み、その祭礼に参加する者全体を「氏子」と称するようになり、氏神は鎮守や産土神と区別されなくなった。同じ氏神を祭る人々を「氏子中」、「氏子同」といい、その代表者である氏子総代を中心に神事や祭事が担われている。氏神を祀る神社の周辺には住んでいないが、その神を信仰する者を「崇敬者(すうけいしゃ)」といい、氏子と併せて「氏子崇敬者」と総称する。

↓御願塚若方座中について

 

 

御願塚村の自治は、村人のなかでも「宮座」が担っていた。村が形成されて以来、現存する地域組織の中で最も古く、歴史と伝統をもつ。宮座は、その名の通り、氏神様を敬神崇拝し中・北・南の三社の祭礼を執り行うとともに、村の司法・立法・行政の三権(特に年寄りは絶対的な権限を持っていた)をも有していた。座の組織は、3段階に分け(1617年頃は右座・左座で構成されていた)、年寄(10人)・中老・若衆で構成され、集落内に所有地を有する戸主並びに長男または分家でなければ入座出来なかった。

御願塚村は、100戸におよぶお大村であることから、宮座とは別に若方座が組織されている。若方座の成立の時代は判らないが、宮座の成立とともに構成されたと考えられ、宮座の祭礼を補う役割を果たしていたと思われる。

宮座の長である座頭は、氏神神社の祭礼に際し、祭主(神主)を務めていた。(現在は富松神社の善見宮司が務めている。)

ここの解説では、御願塚の入り口という意味で「塚口」という地名が生じたと解説している。

それほどに重要な古墳であったようだ。天皇クラスの塚と解説されている。

「前方」で検索したら、鷹羽狩行 の同じ句ばかりがでてきた。

 

鶯のこゑ前方に後円に 狩行
 
運転をする前方に梅雨の月 青葉三角草
 
鷺のこゑ前方に後円に 鷹羽狩行
 
鶯のこゑ前方に後円に 鷹羽狩行
 
坂下りる前方はみな春の星 中西舗土
 
鴬のこゑ前方に後円に 鷹羽狩行(1930-)
 
白靴の埃停年前方より来 文挟夫佐恵
 
過ぎし日の前方にあり水かれひ 柿本多映
 
機首さげる青き前方後円へ 品川鈴子
 
鴬のこゑ前方に後円に 鷹羽狩行 月歩抄

私の所属した結社に高橋由紀夫という作家がいたが、鷹羽さんも同姓同音名

師の山口誓子がそれを捩ってこの俳号を与えたと聞いている。

わが家からすぐのところで見たもの↑

やはり3つ葉の一枚一枚はハート形をしていない。

オキザリス・バリアビリス・ ホワイトとして8球売りで販売しているHPに出会った。

それがあげている画像↓

オキザリス:バリアビリス ホワイト8球入り

花弁の重なり具合がすこし違うかもしれないが葉形はよく似ている。

これは駅前の線路沿いの場所でみたもの↑

かたばみ(オキザリス)ではないかもと思ったが、オキザリスなのであろう。

よく見ると、ハート形をした葉もある。しかしさらによく見ると、ハート形をした葉は、この白い花を咲かせるものとはちがう

多分、ムラサキカタバミのものである。

昨日みたもの

今日見たハナカタバミ

伊丹市との市境にある、三菱電機のグランドの駐車場の端

庄下川沿いの土手上の道路の端。女子大の温室があった場所の付近↓ 11月1日

完成したのはやはり部室のようだ。

 

↑の画像の下部にハナカタバミの群生が写っている。昨日撮影。

今園芸店で「オキザリス」の名で売られているのは↓

花期が冬季で、出来栄えのいいものがようやく咲き始めた。

昨日も今日も秋晴れ

↑昨日 大阪十三公園

↓今日

信号機がちゃちなかたちになった。LEDの最新「機種」か。