尼崎市内には、JRの駅が4、阪急の駅が3、阪神が5つ半(武庫川駅の半分は尼崎)あるが、

駅前広場はどこも立派とは言えない。

阪神尼崎駅の北側は中央公園という名の広場になっているが憩える場所は限られている。

シンボルマークの噴水の縁に腰かけて鯛焼き食べるくらい。

しかしバス停になっている部分の2階部分(エスカレーターやエレベーター利用可)は、人工的な設置だが

緑も多く、腰かける場所も多く、通勤客などの移動に邪魔されないで憩える場所が多いので、

市内随一の駅前広場と言えるかも。

 

武庫川駅の南側は、すぐに武庫川の河川敷に繋がっていて、大きなクスノキなどに囲われた憩いの場がある。

但し、地の人間か私みたいに歩くのが好きな者でないと楽しめないかも。

 

阪急塚口駅南側広場

広場というよりはロータリーである。

目下は駅前ロータリーを囲む3つのビルの内西側の3番館が建て直し中。2年後でないと完成しない。

地下部分の枠組みが完成(内装はまだだろうが)したようで、地上15階の建設準備中

↑駅に近い北側部分

↑南の端の部分 どの作業がメインなのか私には分からない。大量のセメントを「製造中」のように見える。

2番館を南側からみたもの 5階以上はマンションである。

稲畑廣太郎 ビルの句 とりわけ「丸ビル」の句。丸ビルは丸の内ビルの略

 

雷神の喝に高層ビル竦む 稲畑廣太郎
 
四月五日永遠に丸ビル閉さるる 稲畑廣太郎
 
ビルの北窓開くことも無く 稲畑廣太郎
 
ビルの店子も減りて去年今年 稲畑廣太郎
 
ビルの最後の初句会となり 稲畑廣太郎
 
ビルも白く覆はれ夏深し 稲畑廣太郎
 
ビルの夜業の灯又一つ消ゆ 稲畑廣太郎
 
ビルの壁の割れ目に名草の芽 稲畑廣太郎
 
生涯を終へしビルにも風光る 稲畑廣太郎
 
ビルの低くなり天高くなり 稲畑廣太郎
 
ビルの灯火失せて夕霞 稲畑廣太郎
 
ビルを離れ夏めく日となりぬ 稲畑廣太郎
 
閉されし丸ビル大扉街薄暑 稲畑廣太郎

ウィキペディアの「大阪丸ビル」の解説

大阪マルビル(おおさかマルビル)は、大阪市北区梅田一丁目9番20号にある円筒形の高層ビル。地上30階・地下2階、高さ123.92m。1976年昭和51年)3月に竣工した。大阪駅前のダイヤモンド地区中央に位置し、完成当時は周辺で唯一の高層ビルであった[2]

建物の形状が円筒形であることが名称の由来(東京にある「丸ビル」は丸の内ビルディングの略称であり、両者に関連性はない)。そのユニークな形状、一部が復活した屋上部の電光掲示板、大阪の高層ビルのさきがけとしての風格等の理由から、今でも梅田のランドマーク的ビルと位置づけられている。

2番館と3番館をつなぐ渡りの部分にある広場の絵。

塚口周辺ではこの人の絵をよくみる。どれも↑の感じのもの。

店のシャッターとか壁などに描かれている、

 

駅前の風景を撮影していて気付いたこと。

かながね駅の東西南北、歯科医院と整体院と不動産屋が多いと思っていたが、

駅を中心に半径100メートルの円内には、歯科院は10軒くらいありそう。

整体、整形外科、マッサージ店もあわせると10軒以上ありそう。

今日、あらたに学習塾もかなりあると気付いた。

コンビニも多いが、半径100メートルの範囲に10軒はないと思う。

駅前ロータリーを抜けて南への歩行者用通路

 
冬田道一列歩行の仲間たち 原子公平
 
金雀枝に歩行訓練声出して 西浦一滴
 
水中歩行では竜宮に帰れない 村井和一
 
冬蜂の死に所なく歩行きけり 村上鬼城
 
片羽もえて這ひ歩行けり夏の虫 闌更
 
春寒やぶつかり歩行く盲犬 村上鬼城
 
早稲の香やむく起ながら遠歩行 蒼[きう]
 
遅き日やしかまの歩行路牛で行 素堂
 
乳母車が佝僂の歩行器雲の峰 国弘賢治
 
水落して又とつかわと歩行きけり 西山泊雲
 
春寒やぶつかり歩行く盲犬 村上鬼城
 
泳ぎより歩行に移るその境 山口誓子(1901-94)
 
歩行器を使ふまはりに秋の風 朝倉和江
 
歩行の子に門で逢ふ十夜かな 炭 太祇 太祇句選
 
うぐひすのしのび歩行や夕時雨 炭 太祇 太祇句選
 
歩行よい程に風吹く日永哉 一茶 ■文政五年壬午(六十歳)
 
陽炎や歩行ながらの御法談 一茶 ■文政元年戊寅(五十六歳)
 
手にとれば歩行たく成る扇哉 一茶 ■文政元年戊寅(五十六歳)
 
陽炎や猫にもたかる歩行神 一茶 ■文化十二年乙亥(五十三歳)
 
独身や上野歩行てとし忘 一茶 ■文化十一年甲戊(五十二歳)
 
秋風に歩行て迯る蛍哉 一茶 ■文化十年癸酉(五十一歳)
 
見物の火にはぐれたる歩行鵜かな 去来 五 月 月別句集「韻塞」
 
寒の凪ぎ歩行のもつれ如何せん 飯田蛇笏
 
ある皇子の忍び歩行や初鳥狩 井原西鶴
 
大雪や上客歩行で入りおはす 蕪村遺稿 冬
 
歩行の露にとぢたる扇哉 高井几董
 
鶯や梅にも問はずよそ歩行(ありき) 千代尼
 
落葉まで風の物とや持歩行 千代尼
 
はつゆきや子供の持ちて歩行ほど 千代尼
 
名月や眼に置きながら遠歩行(ありき) 千代尼
 
山彦をつれて歩行や鉢たたき鉢叩 千代尼
 
歩行(かち)よりぞおもむく峯にそばの花 広瀬惟然
 
歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬哉 松尾芭蕉
 
泳ぎより歩行に移るその境 山口誓子

 

現代俳人の句は、ほこうと読んでいいのだろうが、江戸期の俳人のものは

歩行と書いて、「かち」以外の読みがありそう。