575筆まか勢さんのブログから

補遺があってそこでも沢山の例句が紹介されている。このブログは季語別に編集されているので、データベースから

探り出すのではないので、ダブリを消去する手間が省ける。御礼。


あ諦めたきらめた夜を団栗かんかん鳴る 櫂未知子 蒙古斑
あけすけに団栗の木と冬青空 高澤良一 燕音
おくつきに団栗落ちぬ木遠し 雑草 長谷川零餘子
しののめや団栗の音おちつくす 中川宋淵
どんぐりが一つ落ちたり一つの音 細見綾子(1907-97)
どんぐりが乗りていやがる病者の手 秋元不死男
どんぐりに形大小ありにけり 新部烈人
どんぐりに栗鼠の歯型よ新月なり 村越化石 山國抄
どんぐりのみな心ありはなればなれ 細谷源二 砂金帯
どんぐりの一つは寡黙三つ拾ふ 広谷春彦
どんぐりの一つ淋しところがれる 大内迪子
どんぐりの光る一ケ所づゝがある 石井とし夫
どんぐりの単純すこしづつちがふ 沼等外(1919-)
どんぐりの坂をまろべる風の中 甲田鐘一路
どんぐりの小草にまぎれ荘を閉づ 加藤耕子
どんぐりの山から山へ夕日の軍歌 櫻井博道
どんぐりの山に声澄む小家族 福永耕二
どんぐりの帽子がとれて仕舞ひけり 高澤良一 宿好
どんぐりの影ものびたる土の上 深見けん二
どんぐりの拾へとばかり輝けり 藤野智寿子
どんぐりの私語もたのしや平林寺 石田あき子 見舞籠
どんぐりの背比べして土筆生ふ 堀之内和子
どんぐりの落ちかねてゐる水の照り 中嶋秀子
どんぐりの落ちて日あたる山となる 桂信子 黄 瀬
どんぐりの落ちて来さうな露天風呂 滝 佳枚
どんぐりの転がつてゐる能舞台 田村すゝむ
どんぐりの頭に落ち心かろくなる 油布五線
どんぐりまろぶどんぐり溜まる所まで 野中 亮介
どんぐりも吾もころげて世にはあり 三条羽村
どんぐりも首をすくめる寒さかな 高澤良一 宿好
どんぐりや厠に小さき覗き窓 松岡実子
どんぐりを児等と分ちて富むごとし 樋笠文
どんぐりを拾ひかなしみ人に告げず 福田蓼汀 秋風挽歌
どんぐりを拾ふさまもて息継ぐも 石田あき子 見舞籠
どんぐりを拾ふも遊び心かな 小林 むつ子
どんぐりを拾へば根あり冬日向 藺草慶子
どんぐりを机上に愛づる雨一日 高澤良一 素抱
どんぐりを玩具にまぜて旅鞄 阿部みどり女
どんぐり拾ふ病院の許可時間 細見綾子
どんぐり独楽いで湯の宿の卓に澄める 横山房子
どんぐり降る森を近づけサイロ入 村越化石 山國抄
よその母に蹤いて団栗拾ふ一と日 長谷川かな女 花寂び
今投げし団栗ならず水の底 依光陽子
咳よりもはやく団栗落ちきたる 米澤吾亦紅
喰物もありや松尾の柏団栗 広瀬惟然
回らねば仲間失う団栗独楽 保尾胖子
団栗が掌を打つ遠き日の戦さ 対馬康子 吾亦紅
団栗と子がもたらせし土地言葉 金子 潮
団栗と枯檜葉の降る雪舟碑 堀 古蝶
団栗にうたれし孤独地獄かな 藤田湘子(1926-)
団栗に八専霽れや山の道 飯田蛇笏 山廬集
団栗に海なり聴くや土佐どまり(紀貫之寄港の地と聞けば) 角川源義 『冬の虹』
団栗のころころと詩生れけり 佐藤 木鶏
団栗のころび合ひたり窪だまり 牡年 俳諧撰集「有磯海」
団栗のしたゝか落ちて茶時かな 齋藤玄 飛雪
団栗のわがてのひらで熱を持つ 有馬英子
団栗のゐろりに烟る山の家 野田別天楼
団栗の一つ落ちくる露天風呂 中条久三夫
団栗の二つであふれ吾子の手は 今瀬剛一
団栗の土に還らんひとりごと 吉本 昴
団栗の坂二人ひょいと象形文字 山岡敬典
団栗の寝んねんころりころりかな 一茶
団栗の己が落葉に埋れけり 渡辺水巴 白日
団栗の広葉つきぬく音すなり 子規句集 虚子・碧梧桐選
団栗の栗色兄らに栗拾はれ 香西照雄 素心
団栗の芽を出していて拾われぬ 長谷川かな女 牡 丹
団栗の落ちずなりたる嵐かな 子規句集 虚子・碧梧桐選
団栗の葎に落ちてくゞる音 鈴木花蓑句集
団栗の野毛坂はまだ続くなり 高澤良一 寒暑
日光澤温泉
団栗の青きが打ちて真の音 高澤良一 寒暑
団栗の音めづらしや板庇 正岡子規
団栗もかきよせらるゝ落葉かな 子規句集 虚子・碧梧桐選
団栗やうさぎも共に霜崩れ 水田正秀
団栗や似て声たかき母と妻 白岩三郎
団栗や倶利伽羅峠ころげつゝ 東洋城千句
団栗や六角坂に富坂に 野村喜舟 小石川
団栗や寺境内の山王社 尾崎迷堂 孤輪
団栗や屋根をころげて手水鉢 正岡子規
団栗や急なる坂の日を見ざる 阿部みどり女
団栗や熊野の民の朝餉(がれひ) 野澤凡兆
団栗をひらふ祖父母でありにけり 井上茂
団栗をもろに*つぐめる山童 飯田蛇笏 霊芝
団栗を幾十投げて空を欲る 対馬康子 吾亦紅
団栗を掃きこぼし行く箒かな 高浜虚子
団栗を握りしままの子を診をり 西川 五郎
団栗を沈め療園の池曇る 有働亨 汐路
団栗を混へし木々ぞ城を隠す 石田波郷
団栗を踏みつけてゆく反抗期 小国要
団栗一つ供ふ湯神の御神体 高澤良一 寒暑
団栗拾ふ峠あかるきさびしさに 山田麗眺子
団栗溜めこんで長頭系の孫 安藤今朝吉
団栗独楽椎の実十とかへ事しよ 尾崎紅葉
団栗落つ得たりや応と鋪道受け 高澤良一 寒暑
地固くころがる正味どんぐりよ 成田千空 地霊
大和どこも団栗柴の黄ばむ頃 右城暮石 声と声
大和大路団栗下ル菊盛り 如月真菜
天を見ず青団栗を拾ふまで 望月精光
子が語るゆめの団栗つやつやとわれも眠りのきわ漁りおり 石本隆一
子の帯を解けば団栗落ちにけり 矢部金柑子
孤児の癒え近しどんぐり踏みつぶし 西東三鬼
孫の手にどんぐり独楽の良く回はず 森岡 恵女
山かつと団栗道をすれ違ひ 松藤夏山 夏山句集
山猫を思ひどんぐり大事にす 太田土男
懸崖や団栗落つる驀地 寺田寅彦
打合うて団栗こぼす袂かな 尾崎紅葉
拾ふ気になれば団栗いくらでも 柳本津也子
掌にあまる団栗夫も子もなくて 菖蒲あや 路 地
掌にのせて団栗みどり山に雪 中拓夫
朝の地べたにはねかへる団栗独楽です 人間を彫る 大橋裸木
朝日浴びどんぐり芽ぶく毬の中 米本義弘
椎ひろふあとに団栗哀れなり 子規句集 虚子・碧梧桐選
神にのみ下僕団栗踏みしだき 細川加賀 『傷痕』
美的百姓に団栗降るや青きもあり 上林 裕
肌寒や雨の青どんぐりを見て 高澤良一 素抱
自閉児の団栗数へきりもなや 築城百々平
芭蕉さま団栗ひとつもらひます 藤岡筑邨
落城の碑を団栗の打ちにけり 加藤三七子
野毛坂に団栗落ちて転ぶ距離 高澤良一 寒暑
青どんぐり湯川高鳴り流れけり 高澤良一 随笑
青枯の団栗に墓道選びけり 雑草 長谷川零餘子
風邪の子や団栗胡桃抽斗に 中村汀女
黴まじく仁王どんぐり眼かな 高澤良一 ねずみのこまくら
櫟の実足裏に触れて露天風呂 宮田俊子
日々鈍る足を鍛えにどんぐり山 高澤良一 随笑
青どんぐり雨明りして山の道 高澤良一 石鏡
水楢の実の落つなかに休憩す 高澤良一 素抱
また拾ふ団栗拾ってだうするの 高澤良一 石鏡
けふの団栗加ふきのふの団栗に 高澤良一 石鏡
団栗を莫迦云ひながら拾ひをり 高澤良一 石鏡
登り口そこに団栗捨てゝあり 高澤良一 暮津
捨て団栗何故か仔細はわからぬが 高澤良一 暮津

 

このブログに利用されている画像

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マテバシイかコナラか

大阪北野高校の裏手(新北野中学校との間の道)で見た団栗

へしゃげた形をしている。

20種類くらいを図示している画像をいくつかみたが同定できない。

北野高校(旧制大阪北野中学)

大阪府立北野高等学校(おおさかふりつきたのこうとうがっこう、: Osaka Prefectural Kitano Senior High School)は、大阪府大阪市淀川区新北野二丁目にある府立高等学校

1873年に大阪東大組(後の東区、現在の中央区)に創立された欧学校に起源を持ち、大阪府が最初に設置した旧制中学校「大阪府第一番中学校」の流れを汲む[1]。現在の校名は前所在地の北野に由来し、十三の現在地へ移転した際、十三中学校では13番目の府立中学校である豊中中学校(現在の大阪府立豊中高等学校)と紛らわしくなることや、一中のイメージが失われるとして反対運動が起こったため、改称が見送られたという経緯がある[2]

全日制の他に定時制が置かれていたが、2004年度の募集を最後とし2007年度で廃止された。

2003年に卒業生でもある建築家竹山聖の設計による、現在の新校舎が完成した。新校舎は、打放しコンクリートの外観に内部はコンクリート塗装フローリングが中心の無機質なつくりの中に、「空間」と「広がり」がデザインされるなど、モダンなつくりになっている。

旧校舎の壁にあった米軍のグラマン戦闘機(F6F)の機銃掃射の跡は、現在でもその壁の一部が「メモリアルウォール」として保存され、記念碑が設けられている[3]。校内には卒業生の植物学者笹部新太郎が開発した笹部桜が植えられており、春には校門から校舎までの道を桜並木が彩る。校門前には旧制北野中学の頃のモニュメントがたたずむ。

右手が新北野中学

樹の全体像

句会出席

昼はいつものがんこ総本店

次のマグロ解体ショーは14日

 

十三の句会場近くの店

 

小籠包だけの店  行列はみたことがない。時間帯があるのだろう。