市の文芸協会の機関誌から400字のエッセイを依頼されている。〆切は8月15日。メール添付可。「富松(とまつ)川」と題して420字になったが、ともかく俳句15句と共に、15日深夜に送信。16日になってエッセイが余りにつまらないので、別のものを再送すると連絡。
こんな時期に原稿のすべてが集まって、編集を開始することはないだろうと思っている。
エッセイの新しいタイトルは「富松川の七不思議」。川幅は最大でも3メートル。名のある橋は皆無。県境、市境を形成していないのに、1級河川の扱いを受けている、それでいて、「川名」を標記する掲示板が一枚もない。(伊丹市笹原公園の傍を通っているがそこに一か所「一級河川富松川」の標識が立っている)。よってもって尼崎市内では川の付近に居住する人でも川名を知らない。川の淵源がはっきりしない。アマゾンや長江などでは支流が多数でかつ僻地故に淵源がはっきりしないが、この川は伊丹市内のある地点で突如地図上から姿を消す。その地点で噴泉があるわけではない。富松川という名を持っているが、淵源は伊丹の野間地区であり、尼崎市内に入っても富松町内を流れるのはごく短距離で、主に現在の塚口町、南塚口町を通って、庄下川に合流する、などなどについて書こうと思っているが、まだ送信していない。
↑近隣公園の西北の出入り口となる橋上(もちろん名はない)から北側を見ている。
公園も川も塚口町5丁目
少し北上するとバス通りの東側を北上(流れは南向き)
川を挟んで家が建っているので、各家には橋を渡らないと入れない。
手前に見える橋の幅だと固定資産税の対象になるかも。
今年は大株のヨウシュヤマゴボウを見る機会がなかった。1株でも巨大になる。
↑は家と家の隙間に生えたもの。1株ではなかった。
↑の家は改築されたが、その前は壁面いっぱいにナニワイバラが咲いていて豪華であった。木そのものは伐採されずに残っている。川の右手は塚口町4丁目で、道路の左側が6丁目。
↑のところで富松川は左(西側)へ大きく湾曲、道路下をくぐってゆく。
まっすぐに直進してゆくと東富松川の起点へたどりつく。
北から南へ流れていた富松川は、道路を渡ると西から東への流れになる。
水面はせいぜい2メートル幅、上部での川幅は3メートルか4メートル。
センダングサは晩夏に花が咲く。
やや日陰の部分ではヤブマオが茂っている。
この地点では左が塚口町6丁目。右手(西側)が富松町3丁目。
2川合流地点である。水面中央は東富松川。南へ流れている。
右手少し段差があるところから富松川の流れ落下している。
護岸工事は完了している、右手から流れてきた富松川の水は、ほば100%東富松川へ流れ込んでいる。
画面左手の暗渠が富松川であるが、そこへ流れているのは画面下(北)から流れてきた東富松川の水である。これまた七不思議のひとつ。
富松川が地図上ではこの部分で東富松川と交差しているが、西からの水は、東側へつながってはいない。北側から流れてきた東富松川の一部を受け入れて、これ以降は東富松川の分流となっている。
↑の流れもわずかな屈折を繰り返して、阪急電車の下を潜りX橋へ辿りつく。
そこで富松川とまたも合流するが、その水は上の地点で分流した水を取り戻しているだけである。
しかし富松川はこの地点で大きな樋門を持っており
西から流れてきた富松川の水はすべてがこの地点で東富松川へ流れ落ちるのではなく、
西側が少し標高が高いようで、疎水となって東富松川に並行して流れを形成、灌漑用水として利用されていたようである。
この田の上部に東富松川が左から右へ流れている。
この田畑の水は富松川のものである。
昨日の句会に出ていた句
漆黒の秋茄子たわわ畝の朝
秋茄子といった季語を漆黒とかたわわといった言葉で修飾するのはよくないと評したが
私の印象では、秋茄子は漆黒でもたわわでもないと思った。↓を見る限り、普通の栽培では秋茄子は色剥げでかつ小さく、たわわでもない。秋の出荷用に特別に栽培されないかぎり。
富松川が東富松川と合流する以前にいくつもの分流が作られこの辺りの灌漑用水として利用されていたのであろう。
2反弱の田の傍を潤す灌漑用水路の水は富松川からのもの。右手横は東富松川の流れ。
行政上、東富松川は消滅、庄下川の本流となっているが、東富松川には名を持った橋が多数あり、それぞれ川名もひがしとみまつがわと表記されている。
そうした水は暗渠を通して再び東富松川へ放出される。
↑の部分が最も最近に工事が完了した地点である。
富松橋から南を見ると、阪急の鉄路を潜るまでに、画像で見える梅の木橋ともうひとつ
柳縁橋がある。梅の木もやなぎべりもこのあたりの小字名である。
尼崎市の基本的姿勢は人も車も通れる欄干をもった橋に名をつけるようであるが、
人しか通れない橋でも明和橋のように名が付けられる場合もある。