キシュウスズメノヒエ; Wikipedia

日本では1924年に和歌山県で初めて発見され[1]、和名の紀州雀の稗はこれによる[2]。穂は二叉状。日本のスズメノヒエ属の中では背丈の高くなるものではないが、匍匐枝を長く多く伸ばす植物で、非常に大きな群落をつくる。

水質地を好み、水田で繁茂して被害を与える。熱帯域では水路を塞ぐなどの被害も見られる。匍匐枝を切断しても、その断片から再び繁茂する。

川沿いの遊歩道に接触していない川中島が点在する庄下川上流

↑の画像の中で小さく写っているのは女性。長靴着用、網の取っ手の先に鉤をつけて、あるものは掬い、あるものは鉤で引っ掛け水中のゴミの収集。ボランテイア作業だと思う。

川中島の中の一つにひと際キシュウスズメノヒエが目立つ。

水中に穂先を伸ばしているのがキシュウスズメノヒエ。

イネ科の葉でないのは、ナガエツルノゲイトウ。

↑の画像で上部、背がやや高くなっているのはイヌタデ。↓

花が咲き始めているものもあるが、軸が赤みを帯びているので識別可能。

ただしイヌタデなのかオオイヌタデなのかは不明。1mを越えてでかくなればオオイヌタデなのだろう。

キシュウスズメノヒエは水中に入ると柄をながく伸ばすが、背はあまり高くならないよう。

この島以外ではキシュウスズメノヒエは目立たない。

この部分、右岸は石垣ではなく、土手。遊歩道は狭くなっている。

小魚を狙う子の足元をみると、水深は10センチ程度。奥の方に清掃作業の女性がいる。

 

↑はスズメノヒエだが、キシュウスズメノヒエではない。キシュウスズメノヒエ以外のスズメノ稗にもいくつか種類があるようだが、↑のものはかなり背が高くなる。

1メートルを越えるものも。

↑7月7日 ↓6日 左岸 新庄下橋の南

遂に📷動かなくなった。保証期間を越えているので、買い替え。

「続俳句検索」から

蒔や百姓鶴に語つて日く 蒔 正岡子規
 
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粟穂穂に岐れ影径・日向径 中山フジ江 『富士南』
 
打つて打つて父祖の地憎むべし 昆ふさ子 『冬桜』
 
餅のしみじみ赫し棲み耐へて 昆ふさ子 『冬桜』
 
を抜くぶつきらぼうな顔が来て 茨木和生
 
日照雨来や峡田はを躍らしめ 石田波郷
 
ぬきんでて稲よりも濃く熟れぬ 篠原梵
 
農薬を厭ひ抜く若頭 朝妻 力
 
は穂にどこかに神の話し声 河原枇杷男
 
ぬきんでて稲よりも濃く熟れぬ 篠原 梵
 
蒔に案山子の残る冬田かな 冬田 正岡子規
 
行く馬のあとにうなづく粟かか 粟 正岡子規
 
蒔と殿の見給ふ青田かな 青田 正岡子規
 
夏炉焚く梁に種粟の種 海野 勲
 
道なべて舗装されても雀の 高澤良一 素抱
 
雀の忘れものして戻る道 高澤良一 素抱
 
雀の傾ぐ夕日が穂を染めて 高澤良一 素抱
 
稔田に交りてのまんめんじん 高澤良一 随笑
 
井川村粟育て猪を飼ふ 神田美穂子
 
山底にしてを切る平湯かな 長谷川素逝
 
一位熟れ白川郷にめし屋 稲葉光堂
 
抜女背をのばしゐる小淵沢 小林蛍二
 
坐りだこ囲炉裏に痛しの飯 高村光太郎
 
我が師走くふ鳥のやすげなり 荷兮
 
抜くや溺るるごとく口あけて 成海静
 
うどんげの咲いて轉がるの臼 坂口かぶん
 
寒鴉群れて一つの影落とす 畑さち
 
道草のも垂れたり汝が裾に 石田波郷
 
ひそやかに熟れゐたる現世かな 鈴木俊策
 
胸乳まで穂先で濡らす取女 山崎羅春
 
日照雨来や峡田はを躍らしめ 石田波郷
 
遠不二にの抜穂をかかへ佇つ 木村蕪城
 
ぬきんでて稲よりも濃く熟れぬ 篠原梵
 
或る僧を呼びつつは穂になりぬ 河原枇杷男
 
の穂の馬逃したる気色かな 越人
 
盆踊搗く仕ぐさかと思ふ 高橋秋郊
 
蒔や絹布に毛描きしてをられ 茨木和生「往馬」
 
小山田やを植ゑるも昔唄 一茶「七番日記」
 
抜きに咎められたり男狭穂(をさほ)塚 宮坂静生 樹下
 
蒔や襟に剃刀あてらるる 大石悦子 百花
 
蒔や絹布に毛描きしてをられ 茨木和生 往馬
 
こまやかにしたる蒔出揃はず 茨木和生 三輪崎
 
を抜くぶつきらぼうな顔が来て 茨木和生 野迫川
 
切りの夕日の方へ游ぐなり 宮田正和
 
自転車できて畦ぞひのを抜く 森田公司
 
売店に客なきを干してをり 山本琴嶺