ウスベニアオイ(学名: Malva sylvestris)は、アオイ科ゼニアオイ属の多年草。ブルーマロウとも呼ばれている。
寒さに強いのは確かだが、花期は夏である
2月の戸外でこれだけ咲いているのは初めて見る。
管理舎の腕であろう。野生化もしているが群生はみたことがない。
尼崎の貴船神社沿いだから、公害にも強いのであろう。
画面右側は悪名高い国道43号線である。そのまた右(南)は広大なAGCの工場。
花はハーブティとして利用されており、お湯を注ぐと透きとおった青いお茶になる。レモンを浮かべるとピンク色に変色するので、大変人気がある。近縁種のハーブに、芳香をもつムスクマロウや、平たく広がるクリーピングマロウ (Modiola caroliniana)がある。コモンマロウの花の水溶液は、酸性や塩基性の溶液を加えると色が変化するので、理科の教材や夏休みの自由研究などで利用されることがある[2]。
(ウィキペデイア)
貴布祢神社から東へ向かって歩いて最も近い尼崎寺町の寺は専念寺(阪神尼崎駅からだと寺町の西端に位置するので
寺町散策の折にも由緒をしらないと省略されることが多い)
- 赤門に日輪ひくし漱石忌 和田祥子
- 雪降つてゐる赤門や冬休 深見けん二
- 赤門は古し紫陽花も古き藍 山口青邨
- 赤門の大きく開く雛まつり 日原傳
- 赤門はいちにち赤し春の風 小川軽舟
- 鹿もえている赤門の空の奥 八木三日女
- 全開の赤門くぐる花万朶 伊藤敬子
- 雪降つてゐる赤門や冬休 深見けん二
- 赤門の雪解雫の中にあり 山口青邨
尼では「赤門さん」といえば、↓の赤門を指すが、句のほとんどは東京本郷前田藩邸の赤門を詠っている。
三日女が詠う奈良の赤門は何処か?東大寺?法華寺?
専念寺の赤門
↑境内から見ている
平重盛の勧進でできた寺
尼崎市のHP
専念寺は平重盛が法然上人に帰依し、西仙房心寂を招いて治承元年(1177)、東長洲に建立したと伝えられています。重盛の菩提所であったことから朱塗りの山門を許されたと伝えられ、山門に朱色を施して通称「赤門の寺」と呼ばれています。
尼崎の寺町にある11カ寺は、尼崎城の建設にともないここに集約されたから創建は1615年以降となるが、それ以前に城内予定地にあったものなどはその時の建物(堂宇)を移築しているから創建は15世紀或はそれ以前(専念寺は12世紀)に遡るものもあるが、多くは昭和20年6月の空襲で灰燼に帰し復元再興されたものが多い。
第2次大戦の被害を受けていないのは、京都と奈良の寺である。
枝垂れ梅も紅梅もこれから。
当寺は、1177(治承元)年、法然上人に深く帰依していた平重盛(平清盛の長男)が、神崎川の河口の地の東長洲(中でも現在の尼崎市杭瀬北新町三丁目から長洲中通二丁目あたりと思われる)の地に建立しました。
開山にあたっては、法然上人の高弟のひとりであった、西仙房心寂を招いたと伝えられております。しかし、残念ながらわずか二年後の1179(治承三)年に重盛が亡くなります。残された当寺は、その直後、朝廷より、建立者重盛の菩提を弔う寺(菩提所)とされ、そして同時に、内大臣まで務めた重盛の生前の朝廷(政権)における功績により、朝廷より堂舎への丹塗り(朱塗り)を施すことを許されました。これが当寺の赤門の由来です。
当寺には数ある仏像の中でもきわめて古い二体がありますが、これらは重盛の念持仏であったのではないかと思われます。ひとつは下品下生印(げぼんげしょういん)の阿弥陀如来坐像であり、もうひとつは、海上交通を守護するものとして平家一門にとっては特別な信仰の対象でもある、十一面観音菩薩立像です。