かびやという俳句結社がある。

HPから:

大正10年5月 原石鼎が小野蕪子の「草汁」を「鹿火屋」と改題し、発足しました。
鹿火屋は結社名であり、誌名(月刊)でもあります。鹿火屋とは田畑を荒らしに来る鹿や猪を追い払うため、
火を焚いたり板を打ち鳴らしたりした小屋のことです。
大正元年、軍医である次兄の手伝いをするために、奈良県の深吉野に入った石鼎はこの地で数々の名吟を詠み、
高浜虚子に「大正二年の俳句界に二の新人を得たり。曰く普羅、曰く石鼎(「ホトトギス」大正3年正月)」と評されました。
結社名「鹿火屋」は深吉野での名吟の一つ、「淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守」から取られたものです。

 

尼崎市周辺ではあまり耳にしない結社名。

常光寺にある浄光寺

常光寺:apedia

小田地区の大字。市域南東部、神崎川の西岸に位置する。史料上の初見は「細川両家記」永禄9年(1566)7月17日条(『尼崎市史』第4巻)。地名の由来と思われる寺名浄光寺は、これより早く「太平記」康安2年(1362)8月16日条(同前)に「浄光寺ノ要害」として登場している。『摂津志』によれば中世には富島荘の荘域であった。

 

  近世には大和国小泉藩片桐氏の領地であった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に410.012石、「元禄郷帳」「天保郷帳」に407.112石とある。大井組に属した。氏神は皇大〔こうたい〕神社、寺院は真言宗善通寺派浄光寺(慈眼院)。

 

  1889年(明治22)以降は小田村1936年(昭和11)以降は尼崎市の大字となった。

 

常光寺から今福にかけては、大正期にはすでに大阪合同紡績(のち東洋紡績神崎工場)が広大な敷地を占め、富士製紙神崎工場(現新王子製紙神崎工場、常光寺)・神戸醋酸(現塩野義製薬、今福)なども立地する工場地帯であった。1985年の住居表示により常光寺となったほか、一部が長洲東通・今福となった。

常光寺(町名)にある浄光寺境内に句碑

一部万葉仮名使用か

 

遠き山眠りそめたり水子寺  鹿火屋同人が作者

 

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

 

  常光寺字奥ノ坊(現常光寺3丁目)にある真言宗善通寺派の寺院(元随心院末)。山号は補陀洛山、院号は慈眼院。同寺所蔵「縁起」には天長年間(824~834)空海開基とあり、「明治12年寺院明細帳」(『地域史研究』第7巻第1号)は開基年を829年(天長6)としている。

 

同寺は1362年(康安2)摂津守護代箕浦次郎左衛門俊定が南朝方の楠木正儀らと対陣したさい陣を構えた要害とされており(太平記/『尼崎市史』第4巻)、同寺所蔵「紙本着色浄光寺縁起図」(1986年(昭和61)3月13日市文化財指定)によれば同舎がこの合戦で焼失した。

 

また「日本国分明集」は、荒木村重が信長に背いた1579年(天正7)にも同寺は戦火により焼失して衰退、近世には別に寺院を構えて慈眼院と称し本尊金1寸8分観音菩薩も移転、

 

その後も本尊は兵火や災害により転々とするも不思議と同寺に戻ると伝えている。また『尼崎志』は、浄光寺が秀吉と対立した根来寺や明智光秀に近かったことから秀吉治下に衰退したのではないかとしている(同書常楽寺の項)。

 

 

浄光寺と道路を挟んで、皇大神社(幼稚園併営。境内は幼稚園の運動場。

↓神社手前の辻地蔵  堂なし

神社側(西側)から見た浄光寺

尼崎市の東部分を貫通する園田橋線。 片側2車線。

 

 

 

尼崎市内にも幼稚園を併営する寺社は少なくないが、境内すべてが幼児用遊具設置場になっているところは少ない。

常光寺の南には広大な東洋紡工場跡地を利用した杭瀬団地があるので、幼稚園需要も安定してるのだろうか。

園田南部にある白井神社(3社)はこの神社が管理している。(北部は船詰神社)

 

 

市バス常光寺下車北へ3分、または古川下車南へ3分。JR尼崎駅、阪神杭瀬駅から徒歩でそれぞれ約15分のところに位置する。

 

本殿棟札によると、天長元年空海上人が浄光寺創設の折に勧請したと記されている。

 

正平年中、佐々木判官秀詮がこの地に浄光寺城を築き、その後天正七年、織田信長が伊丹城主荒木村重を攻略した際、城と共に城の守護神である当社も焼失した。

 

のちの元禄十三年、村人達が合議の上代官の助力を得て社殿を造営。現在の本殿並びに北の鳥居は当時のもので、300年を経る。昭和三年、昭和の御大典を記念して拝殿、弊殿、本殿の覆殿を造営、昭和四十六年には明治百年を記念して全社殿の大屋根を改修。平成二十一年には、地盤沈下などによる社殿の歪みを修復するため基礎改修工事が行われ、現在に至る。末社には稲荷社他、天満宮、愛宕大神、弁財天を祀る。また、境内には幼稚園が併設され、樹木は市の保護樹林に指定されている。

 

元禄期に建てられた鳥居

私の能力では元禄13年は読み取れない

元禄の雪が雪呼ぶ十二月 河野南畦 『元禄の夢』
 
師走の蝶遠き元禄誘ひ出す 河野南畦 『元禄の夢』
 
六義園の元禄の亀鳴けりけり 鈴木栄子
 
元禄も昭和も末世大雪解 西本一都

短冊に元禄の句や京の春 夏目漱石 明治三十九年

東洋紡跡

西側から東を見ている

南側の入り口から

 

今日はついでに2度目になるが、今福の八幡神社、すでに5回以上にはなる阪神杭瀬駅前の熊野神社も覗いた。

 

翁丸