亀岡の地名は、1869年三重県亀山と混同しやすいという理由から亀岡と
改名されている。
明治維新までは、三重県亀山を伊勢亀山、こちらの亀山を丹波亀山と
呼んでいた。
丹波亀山の礎を築いたのは、丹波亀山城を築いた明智光秀であり、
現在でも亀岡市では明智光秀が亀岡の最大の功労者である。
江戸時代になって、丹波亀山藩の藩主は重く交代しており、9家が藩主に
なっている。
その中で、1634~1648年間に藩主であった菅沼家の菩提寺が
宗堅寺である。

宗堅寺は、1489年長徳寺として開創されたのが始まりと伝えられ、
小早川秀秋が丹波亀山城主であった1592年子供の菩提を弔う
ために亀山5ヶ寺に帰依している。

 

 

寺の前には、亀岡市製作の2枚の案内が並んで掲示されている。

本日はここでワイフの母親の1周忌の法要

 

親族11名集合

 

重要文化財

外はカンカン照りであるが、法要の席は、冷房完備。

近くの料亭で住職さんを含めて12名の食事会

 

朝8時過ぎに家を出て帰宅は夕刻6時。

帰宅後、もう一泊する長女のために、ワイフと長女の目を盗んで、心太製作。

 

9時過ぎ冷蔵庫から取り出し、天つき使用。↑は娘が気を効かせて撮影

我ながら天つきの扱いがうまくなった。

かんてんぱぱのところてんのもとを利用すれば、超簡単なので、製作現場は秘匿。

くろみつと三杯酢、どちらも超好評。

酢だけなら例句多い 高澤さんの句のみ紹介

足はやき夏の魚はで〆て 高澤良一 暮津
 
豚酸し正月料理に慣れし口 高澤良一 暮津
 
加減よし手練の妻の菊膾 高澤良一 暮津
こんな日はビールが佳けれのものに 高澤良一 素抱
 
海鼠となり果てし身を箸に懸け 高澤良一 素抱
 
海鼠に顎の運動いちにっさん 高澤良一 素抱
 
海鼠に漬ける殺生いたしけり 高澤良一 素抱
 
硬直ののもの海鼠勘弁な 高澤良一 素抱
 
海鼠に錆つく顎を使ひけり 高澤良一 素抱
 
ひとり酌む甘の海苔に宵の雨 高澤良一 素抱
 
柚子散らし牡蠣ほたほた旬のもの 高澤良一 宿好
 
酔ひ早む思ひどほりの牡蠣なり 高澤良一 宿好
 
舌に乗る牡蠣に重みありにけり 高澤良一 宿好
 
ひろびろと牡蠣味はふ舌があり 高澤良一 宿好
 
旬も旬旬の牡蠣に若(し)くはなし 高澤良一 宿好
 
翌の事頭にちらと蓮根 高澤良一 寒暑
 
夏バテの我が身思へば豚など 高澤良一 寒暑
 
良寛の桑門の道漿草より 高澤良一 寒暑
 
海鞘のが利きてぴくんと長まつげ 高澤良一 ぱらりとせ