昨夜11時↑

今日昼食後のデザートでワイフお召し上がり。お褒めの言葉あり。

今夜、夕食後作者賞味

超簡単な故、料理のレパートリーが広がったとも言えない。

その後、杏仁豆腐のレシピ学習。意外とこれも簡単なよう。寒天よりもゼラチン使用の方が濃厚でうまいという

案内が多いが、寒天ないしアガー使用で試作したいと思っている。

 

心太も我が家では作った記憶がない。

ゼリーについてはその昔、ワイフが子供向けに何度も作っていたらしい。よって容器が存在し、久方ぶりに私が利用したことになる。

 

 

鬱勃と雲の影ゆく心太 中原道夫
 
心太てふ文字こころひかれけり 行方克己 知音
 
心太ひとり食うぶるものならず 山田みづえ
 
心太大阪暮らしややに慣れ 西村和子
 
辛子黄に梅雨上りけり心太 永井東門居
 
いつも寄る仏の里の心太 香下 六子
 
心太みじかき箸を使ひけり 古舘曹人
 
旅人や山に腰かけて心太 小林一茶
 
高波の夜目にも見ゆる心太 川崎展宏
 
父と子の夢食ひ違ふ心太 高橋悦男
 
街騒を扉で断つ店や心太 稲野由紀江
 
話題なき夫婦の卓の心太 田中照子
 
心太文字の由来を聞かれけり 横原律子
 
浅草の辛子の味や心太 久保田万太郎
 
心太煙のごとく沈みをり 日野草城
 
簀の外の路照り白らむ心太 富田木歩
 
心太藺の花にすがすがし 高野素十
 
それぞれの私が語る心太 秋尾 敏
 
心太不意に昔のありにけり 椎名書子
 
相似たる店構へなり心太 杉山加代
 
心太あつけらかんと生き抜かん 指澤紀子
 
松にかけし笠とんでなし心太 吉田冬葉
 
相模より風吹きわたる心太 大橋富士子
 
次の間へ白き手がのび心太 柿本多映
 
心太いま渉りきし川のこと 岸本水馬
 
籠居や芥子きかせて心太 水原春郎
 
溝川の澄み切つて冷ゆ心太 下村ひろし
 
再会のはらから老いぬ心太 平田 千鶴
 
心太へだてなき膝突き合せ 矢嶋あきら
 
心太さらりと言葉躱はされし 岡部名保子
 
出格子の暗さ程よき心太 白澤よし子
 
石縋の湧水さはに心太 山本牧秋
 
心太藺の花にすが~し 高野素十
 
心太する~臍に応へける 楠井不二
 
心太燦々と灯を掬ひをり 村上光子
 
心太まづしき過去を子は知らず 佐藤浩子
 
心太とかくつまづく齢となりぬ 梅村好文
 
浅草の辛子の味や心太 久保田万太郎
 
心太煙のごとく沈みをり 日野草城
 
心太売れゐて新しき季節 後藤立夫
 
心太喉通るため透きとほる 後藤立夫
 
心太峠の茶屋の隠し味 小島左京
 
心太水の如くに突き出され 粟津松彩子
 
山頂は見えざるままよ心太 如月真菜
 
心太わが幾山河も映りいて 吉本和子
 
甘酒や一樹の蔭の心太 松根東洋城
 
心太藺の花にすがすがし 高野素十
 
むらぎもの影こそ見えね心太 安東次男
 
心太ゆすつて見るや皿の上 栗島狭衣
 
心太に月上りたる戸口かな 河東碧梧桐
 
日本に生きるほかなし心太 山本左門
 
心太天地が踊ることを云ふ 吉野裕之
 
おいそれと孫子が殖えて心太 宮城梵史朗
 
観て歩くだけの古美術心太 宮野一磴
 
湾二つ一望にして心太 毛塚静枝
 
病室四人話のもとの心太 影島智子
 
高波の夜目にも見ゆる心太 川崎展宏(1927-)
 
栴檀の花散るや桶の心太 寺田寅彦
 
涼しさの心太とや凝りけらし 寺田寅彦
 
心太水晶簾と賛すべく 寺田寅彦
 
心太とラムネの瓶と浸しけり 寺田寅彦
 
心太にしたゝるは面白し西行が歌意 尾崎紅葉
 
心太の茶屋ありここら古戦場 会津八一
 
心太の四つ揃はぬ小皿かな 会津八一
 
心太雨の蘇州を描きし皿 田中冬二 俳句拾遺
 
白馬の雲湲見ゆる心太 田中冬二 俳句拾遺
 
心太みづうみ遠く煙りたる 桂信子
 
死ぬことを忘れてをりし心太 鈴木真砂女
 
辛子黄に梅雨上りけり心太 永井龍男
 
心太てふ文字こころひかれけり 行方克巳
 
心太の辛味や灘の波けぶる 中拓夫
 
嘴熱きおうむを肩に心太 渋谷道
 
心濁るから心太など食ふな 今瀬剛一
 
喉すぎてより心太形成す 今瀬剛一
 
かゝる日や今年も一度心太 炭 太祇 太祇句選後篇
 
もとの水にあらぬしかけや心太 炭 太祇 太祇句選
 
水の中へ銭遣リけらし心太 炭 太祇 太祇句選
 
あさら井や小魚と遊ぶ心太 一茶 ■文政三年庚辰(五十八歳)
 
一尺の滝も涼しや心太 一茶 ■文化十年癸酉(五十一歳)
 
旅人や山に腰かけて心太 一茶 ■文化十年癸酉(五十一歳)
 
ひるすぎの町音にゐて心太 桂信子 草樹
 
心太に月上りたる戸口かな 河東碧梧桐
 
酢に噎せて母の声聴く心太 石塚友二
 
心太手目にせんとおぼしめす 蕪村遺稿 夏
 
 

ところてん心太または心天瓊脂)は、テングサオゴノリなどの紅藻類をゆでて煮溶かし、発生した寒天質を冷まして固めた食品。それを「天突き」とよばれる専用の器具を用いて、押し出しながら細い糸状(麺状)に切った形態が一般的である。

 

 

全体の98~99%が水分で、残りの成分のほとんどは多糖類(アガロース)である。ゲル状の物体であるが、ゼリーなどとは異なり表面はやや堅く感じられ、独特の食感がある。腸内で消化されないため栄養価はほとんどないが、食物繊維として整腸効果がある。

 

 

関東以北および中国地方以西では二杯酢あるいは三杯酢をかけた物に和辛子を添えて、

関西では黒蜜をかけて単体又は果物などと共に、

東海地方では箸一本で、主に三杯酢をかけた物にゴマを添えて食べるのが一般的とされる。また、醤油系のタレなどで食べる地方もある。

ところてんを戸外で凍結乾燥させたものが寒天である。

 

関西仕様の心太はうまいと思って食った記憶があるが、関東以北風のものはちょっと抵抗感があった。

 

製法:

  1. テングサを天日に干し、洗浄する。これをテングサの色が白くなるまで数回繰り返す。この後1年程度冷暗所で保管する。
  2. 大きめの鍋に上記のテングサを入れ、水をテングサがつかる程度まで入れ、沸騰させる。沸騰後は弱火にて1時間程度煮る。
  3. 布などで濾して、不純物を取り除き、バットなどの容器に移し替える。
  4. 容器に移し替えた後、3時間程度、自然に放熱させ、固める(冷蔵庫では失敗しやすい)。
  5. 天突きで突いて(無ければ包丁などで細長く切って)完成。

天つきもながし舟も、いただいた伊那アガーのセットの中に入っている。

 

 

 

上掲の句の中に、

心太文字の由来を聞かれけり 横原律子

という句がある。

 

ウィキペディアの解説:

 

その起源は定かではないが、中国から伝わったとされる。海草を煮たスープを放置したところ偶然にできた産物と考えられ、かなりの歴史があると思われる。一説には、こころぶとと呼ばれ、心太の漢字があてられた。それがこころていと呼ばれるようになり、さらに転じてところてんとなったとされるが、古くは正倉院の書物中に心天と記されていることから奈良時代にはすでにこころてんまたはところてんと呼ばれていたようである。

 

今日も阪神間で激しい夕立があった。

↑北向き。 西は晴れているが、東の方は雲厚い

↑南向き 右が西、神戸方面 左は大阪方面