一年後くらいに会社を辞めることにしました♪

一年後くらいに会社を辞めることにしました♪

~*~ 元外資系企業勤務、現在日系企業で働く女性マネージャーの決意 ~*~

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前回「恥ずかしい思い」について補足します。

わたくしcorgitoは、日本とアメリカに長年暮らした経験と、二社の外資系企業と一社の日系企業の勤務経験からの事例に基づいて思考していますが、

これってこの会社だけじゃないの?

とか、

それで日本人全体に対して悲観的になるのは、あまりに見解が狭くないか?

とか、二年かけて悩みました。


でも、幸いにも2つの文化を私生活と会社で経験し、じっくり見比べる機会を持って、

やっぱりこのままでは、日本は世界から取り残されるだけだと感じました。


どんどん世界に出て活躍している日本人もいますし、グローバルにビジネスを展開して成功している日本企業もあります。

大好きな「ガイヤの夜明け」でよく取り上げられる、その会社にしか出来ない、世界に通じる技術を持つ中小企業や町工場の存在も知っています。


でも、私はもっと海外に出ることを普通に思って、買い物や名所巡りだけじゃない世界を知って、

もっともっと違う価値観が、生き方があることを知って欲しいと切に思うんです。


そうすることによって、もっと自分で考えて、選択して、自分の生き方を見つけて、みんなと違っても自信をもって社会に参加することができるんじゃないかと、

元気のない日本を見て、数万人を従業員として支える我が社の社員を見て、思いました。


そのためには、外国人(特に欧米人)に媚びることをやめないといけない。

そのためには、現代の日本人の慣習や思想の元になっているものはなにか、

海外から戻った時に、美しいと感じる根拠はどこから来ているのかを、しっかり知識として蓄えて、

英語できちんと伝えるスキルを持たないといけない。


中国のコピー商品やマナーの悪さを嘲笑ったり、お金を持っていてもまだまだ国際的に受け入れられないなんて悪態ついて、

私がアメリカにいる時には、ジャパンマネー(死語ですね)を振りかざして、五番街でブランド品を買いあさり、あちこちで記念写真を撮りまくり、格式あるホテルでバスローブとスリッパで部屋の外に出てしまう日本人がそう言われてたんですよ。


そして今、日本はマネーを無くし、交渉力もなく、コミュニケーション能力もなく、後進のアジアの国々にさっさと抜かれているわけです。

グローバルにビジネスを展開する企業において、中国人とインド人の幹部の割合が、とっくのとうに日本人の割合をぬかしています。


そこで今更、日本人の謙虚さとか、和を重んじる文化や、日本独自の翻訳不能な慣習を日本人同志で語って慰め合っても、負け犬の遠吠えにしか聞こえませんよ。


もっと日本の今の現実を見て、頑張りたいんですよ、わたしは。


あ、日本だけ独自にこのまま発展して行けばいいと思われる方は、日本の食料の国内受給率や、貿易によるGDPへの影響、国の外貨依存率などを調べてみてくださいね。

それでもそう思う方は、多分目指している生活や豊かさの理念自体が違うベクトルなので、それはそれで良いと思います。 今後、社会保障や年金に頼らないように生活してくださればより幸いです。
前回の「会社を辞めようと思った理由 - 自由に発想したい」では、ふつふつと自分の中に溜まっていった欲求について書きました。

今回は理由というより、きっかけに近い。

長くなりますが、自分が会社を辞めようと強く思ったきっかけについて、記録しておきたいと思います。


私の業務は海外拠点とやり取りすることが多い時で、毎年1、2回、多くて5回ほど海外に出張します。


このご時世ですから表敬訪問みたいな出張は減って来ていて、わざわざ行く理由がないと許可を出してもらえません。

この点は、入社した当初からずいぶんまともになって来たと思っています。


それでも、グローバルプロジェクトにおいて海外で決まったことを報告するだけの連絡係のような役割でも、日本の担当者という名目で出張の許可が降りてしまうこともあります。


運悪く、私はこのタイプの人と海外出張中に会議で一緒になってしまいました。


私がマネージャーをしているプロジェクトではなかったのですが、ちょうど同時期に会議が行われているプロジェクトのマネージャーから、今回話し合われる案件に関して助言をして欲しいと言われ、オブザーバーとして参加しました。

各拠点から15人ほど参加していて、日本から出張で来ている担当者も参加していました。


話し合いでは一言も発言をせず、ひたすらノートを取っていた彼ですが、順番に意見を言う状況になった時に、立って日本の立場から発言をしようとしたのですが、、、


申し訳ない、
何を言っているのかサッパリ分かりません。




いえ、英語が下手な訳ではなく、オブザーバーの私が聞いただけでも、全く主旨の違うことを話している。


会場に「???」という雰囲気が漂っていたせいか、彼は明らかに焦ってしまって、何度も同じことを繰り返して、長々と続けていました。



その時、彼とは離れた席に座っていたマネージャーが、次に話す予定の人に「もう話を切るから、立って準備をしてくれ」、とコソッと言うのが聴こえました。


「ありがとう、興味深い意見だったよ」と言われて席に戻る彼を見て、何とも物悲しく感じたのは言うまでもありませんが、


ここからが、心から「日本人であることが恥ずかしい」と思うほどの、私にとってのターニングポイントでした。


会議が終ったあとに、マネージャーと何人かの現地スタッフに呼ばれ、相談されました。


現状はさっき会議で聞いてもらった通りだけど、なぜか日本だけ進まない。

彼(日本の担当者)に聞いても特にスキームに問題がある訳でもないのに。

、と。


紳士的な訴えでしたが、彼に問題があるのはプロジェクト内では周知の事実、なのになぜ彼が担当者になっているのか、それで日本の本社は何もしないのか?というのが本音のようでした。


私は、

聞く限りでは、スキームに深刻な問題があるようには思えない、

日本だけプロジェクトの進行が遅いのであれば、いつまでになにをして欲しいのか、出来ないのであれば何日までに時期的に難しいのか、スキームが合わないのか、日本だけ特殊な必須案件があるのかを伝えるように、

と、なるべくイエス•ノーで答えることができ、期日と要件をハッキリ伝えるように助言しました。


とあるプロジェクトで、拠点の代表として参加していて、恥ずかしくも「Head of ...」と名刺に書かれている人に対し、この対応をしたら普通は失礼に当たります。


ですが、これまで海外出張はビジネスクラスに乗れて、マイルがたんまり貯まって、会社のお金で飲み食いできる「ご褒美」、ご挨拶して回って、帰ったら現地の状況を報告すればいいような環境にいた人が、

自分で判断をしてプロジェクトを進めたり、突然その場で意見を求められ、決断しなければいけなくなった時、慌てふためくのは当然です。

まだ、あの状況で「私だけでは決められないので戻ってから検討させていただきます」と言わなかっただけましです。

(だったら何で君が会議に出ているんだ?と言われる典型。本当に決められないなら、自分の見解を述べてから言うこと。結果的に自分が言ったことと違っても誰も文句言わないんだから。)



業界を問わず日本だけが違う方向に走り、「ex-Japan」と名付けられたり、「ガラパゴス」と自称したりするのは、この辺りの訳の分からなさにもあるように思います。


グローバルに歩調を合わせているところで、日本だけ遅れていたりそもそも意見も聞かれなかったり、政治のニュースを見ていても、増えて来ていると思いませんか?


日本が裕福であり、ビジネス的に魅力があった時は、お金をばらまいて接待して、「あはははは、よろしく頼むよ、君」で済んだかもしれませんが、

不況が続き、アジアにも強豪が増え、いち早く先進国の仲間入りした割にはいつまでも英語が下手な日本人と、一体誰が真剣に話し合おうとするのでしょうか。


悲観的な気持ちで帰国した後日、さらに追い討ちが、、、


部長会議に参加した時のこと、出張の報告ということで、例の彼と私が順に話しました。


すると、彼は準備して来たレポートをとうとうと読み上げ、

あたかも協議に参加していたように決定事項を報告し、

「日本の状況もやっと理解してもらいました」と、

彼らが日本の状況が分かっていないことが理由のように報告しました。




彼がバカだと思って悲しくなったわけではありません。

彼の報告をそのまま受け取り「ご苦労だったね」とねぎらう部長たちに呆れたわけでもありません。



こんな彼が日本の最高学府の院卒であり、長い歴史があり日本では業界で常にトップの業績を誇るこの会社において、名刺に「Head of...」とつくポジションにいるなんて、これはどういうことなんでしょうか?



こういう人が優等生として通ってしまう社会の仕組みに疑問が生じ、


日本の教育や、会社の仕組みや、海外と面した時の交渉力のなさや、さらには政治のふがいなさや、経済の衰退や、色んな事が悲しく、悲しく思えてしまいました。


日本ってもっともっとすごい国じゃなかったっけ??

一体どこでこんなになっちゃったの???

もともと日本人が美しいと信じていた勤勉さや、力強さは、何だったんだろう?



と頭の中にとても多くの疑問がわいてきました。

でも、疑問や違和感がありながら、その原因について答えを出せるほどの知識は私にはなく、

とにかく、まずは日本の始まりを知らないとと思い、古事記と日本書紀を読み、日本の伝統行事や伝統芸能について調べ始め、儒教の元である論語を読み、明治以降の日本人思想の移り変わりについての本を読み、出てくる言葉が分からないので哲学書を読み、ビジネススクールで経営学についても学び、

手当たり次第にヒントになるのではと思った事柄について知識を蓄えようとしているところです。


こうやって得た新しい知識を元に考えていると、日頃考えないようにして流していることや、気にしないようにしていることについてわざわざ考えるようになり、もう無視することが出来なくなるので正直苦痛です。


私はこの数年間、本当に考えることを辞めていたんだということを実感し、自由に発想したいという欲求がさらに強くなります。


今は、まだ方向性も見えていないので、しばらくは手当たり次第、興味のあることについて本を読んでみようと思います。


もし、同じように感じているかたが、「こんなことを勉強してみたら?」というものがあれば、ぜひ教えてくださるとうれしいです。


会社を辞める時期を具体的に考え始めた理由はいくつかありますが、

その一つに、

もっと自由に考えて
自由に行動したい



があります。


最近、これが一番強い理由ではないかと思い始めました。



自由にというのは、会社に縛られずにとか、時間やノルマに縛られずに自分の好きな時に好きなように、というような意味ではなく、

自分がやると決めたことを達成するには、何をすべきか、どうすれば効果がでるか、効率的に行うにはどうしたら良いかを素直に考えたい

という意味です。



思考をくるくると回して、寝ても覚めても考え続けると、

あ!!ひらめき電球

という、ひらめきの瞬間が訪れます。

そして、実行してうまく行った時の気持ちの良さは、例えようがなく素晴らしい。



これまで、うまく回らなくなっているプロジェクトに途中から配置されたり、日本と海外拠点のニーズが合わずにグダグダになっている案件に調整役として放り込まれることが多くありました。

初めはこんがらがったしがらみや、昔からの慣習にげっそりすることもありますが、

このプロジェクトの目的はなにか、

会社にとってもメリットはなにか、


この二点を整理して、そのためには何をすべきかを明示すると、時間はかかりますが、だんだんとベクトルが合って行きます。



今の職場の根本的な問題は、こういったビジネス上の利点よりも、既得権の尊重と、これまでの慣習の持続を第一とする空気があるだけでなく、大多数であることと、

変化を促進することを指示する上層部が、建前は民主主義であることをくずさず、抵抗勢力への対応にブレがあることです。

この中で、抵抗勢力と上層部の間に入り、空気を壊さずに最大限の効果を出す中間点を見つけ出すことは可能です。

ただし、当初想定していたメリットよりは、ずっと目減りしたものにならざるを得ません。

会社がそれで良しとするのであれば、中間点を実行することがミッションとなるので、責任は果たすことができます。

そういったことに折り合いをつけて、任務に当たることが勤め人のさだめではありますが・・・



ふと、気がつきました。


私、思考が停止してない??



ここに気づいた時の気持ち悪さと残念さ、

そして、もっと自由に考えて行動したい!

という欲求には抗えない魅力がありました。


青いですかね にひひ

でも、最終的に会社を辞めようと思ったのは、単に自分の欲求を満たしたいだけでもないんですよ。

それはまた次回 kuro-usa3