あたしたちは理由があるから、怒ったり、悲しんだりすると思っているけど、ホントは違います。
感情は体感覚で先にやってくる。
ムカムカムカーーーー
どっかーんとやってきて、その後に、瞬時に理由を見つける、という仕組みです。
信じられないけど、先に
「ムカつく」
エネルギーをキャッチしている。
子ども同士がケンカすると、
「なんで叩いたの?」
「なんで泣いたの?」
と理由を聞くやん?
子どもは大人以上に言葉が未熟だし、理由は後付けなんだからうまく説明できないことあるのに、ちゃんと話を聞くのがいい大人、みたいな感じがしてるけど、ホンマかなあ。
理由は後、ただ怒りたいという体感覚がきた。
それなのに、
理由をただす意味があるのかなあ、という疑問が湧いている。
理由も聞かずに、
「お前はすぐにうそをつく」
と決めつけることはもちろん論外。
「虚言癖がある」
「すぐに人のせいにする」
「ウソをつく」
と自分の子どものことをあたしたちに説明する親がいるんだけど、おもろいよなあ。
虚言癖?(褒められたい?)
すぐ人のせいにする?(あたしは悪くない?)
ウソをつく?(怒られるから?)
いやいや、あたしもあるし。
大人だってエエカッコ付けるやん。
ウソをつく自分を切り離したらあかんで。
「大人もウソつくで」
「宿題出すやつが悪いなあ」
とかあたしは平気で言うから、すごい不思議な顔であたしのこと見るもんな、子どもら。
ヘンな大人なんやろ、あたし。
↑
↑
おっとっと、また話がそれたわ。
湧いた感情の後付けの行動や言葉は自分を守るためのもの。
湧いた感情をわかってもらえたら、後付けの行動や言葉はいらないんかもしれん。
ウソや、ヒトのせいにすることを責めるより、
「イラっと来たなあ」
「ムカつきが来たなあ」
「悲しいなあ」
そこをちゃんと感じてあげたいねん。
子ども同士がケンカしたら、理由を聞くのをやめてみようかな、と思っている。
だってそれ、
「理由があるから感情が湧くという前提」の話やもんな。