この前久しぶりに会った友達は、

「幸せじゃない」

「幸せになりたい」

「愛されたい」

「愛してほしい」

と話しました。

 

もう、ずっと何年も同じセリフを言っています。

 

そうか、幸せじゃないんだね。

 

 

あなたがそう思うんだもの。

きっと、そうなんだね。

 

 

私たちは何一つ自分ではコントロールできない。

湧いてくる感情も、

そう感じてしまう大元の思考も、

その感情を湧き起こらせる誰かの行為も。

 

だから、

あなたが幸せじゃない、というのなら、

それが「あなたのせかい」の真実。

 

 

私は「今」、幸せじゃない。以上。

私は「今」、愛されていない気がする。以上。

おわり。

 

 

幸せじゃない、も

愛されていない、も幻想だけどそう思うのならそれが全て。

 

でもね、

幸せになろうとしてもなれないんだよ。

 

「もうすでに幸せだ」という基盤の上で、幸せじゃないという幻想を見ているだけ。

「すでに愛に包まれている」という基盤の上で、愛がないという幻想を見ているだけだから。

 

 

 

私たちは何もコントロールできない。

だから、

幸せに「なろう」としなくていい。

自力では「なれない」んだから。

 

幸せに「してもらおう」としなくていい。

幸せにしてもらうために「何かをしよう」って、それも自力だからね。

 

肩の力を抜いて。

 

私たちは生きているでしょう。

成長して、最近じゃちょっと望まないような成長もあるじゃない?(老化とか・・・)

それらは目に見えないけど確かにある「大きな力」のせいだよね。

 

その力のことを宇宙とか、大いなるひとつとかいったりするけど、確かに私たちの中にも繋がっていて、影響を受けている。

その力から離れれば離れるほど寂しくなっていくの。

 

だから、その力を信じて、

その力が何とかしてくれるって委ねてみよう。

 

委ねてみよう、も自力だけどさ。

やっているうちに肩の力が抜けてきて、だんだん「他力」へと移行する。

 

そしたら気づくんだ。

何にもしてないのに息って吸えるのね、とか

何の役にもたってなくても給料ってもらえるのね、とか

クビにならないのね、とか、

何もしなくても一緒にいてくれるのね、とか。

 

あれ?なんだ、

元々幸せだったじゃんって。

 

 

自力(顕在意識)は5%

他力(潜在意識)は95%。

 

幸せになりたいなら、幸せに「なろう」という5%の自力を手放そう。