今日は不登校からの潜在意識の話
長男が学校に行けなくなった当初、
母は何度も氏神様に足を運んで祈ってくれました。
「元気になって学校に行けますように」と。
神社には鏡があり、そこに映るのは自分自身。
だから、神様は自分の中にいて、神社は自分を見つめるところ、と言われたりしますよね。
お願いをするところではなく、感謝をしにいくところ、とも言われます。
「個人的なお願いなんてしちゃいけないんだよ。感謝しに行くとこなんだから」
って知ったかぶりして言ったりしてました。
私たち一人一人は大いなる意識、つまり神領域の分御霊なので、私たちの意識は自覚はなくてもみんな繋がっています。
そのみんな繋がっている領域を神と呼んでいます。
母の
「元気になって学校に行けますように」
という願いは、根底にはとても純度の高い深い愛情のエネルギーがあります。
だから、神様に届くのはそのエネルギーの方。
表面上の言葉じゃないんですね。
母の純度の高い深い愛情のエネルギーは、
神様(集合意識)を経由して間違いなく長男にも届きました。
ただ、
「元気になって学校に行く」
という結果にはならなかったけれど。
普段は心配のエネルギーがとても強くて、
私がイライラすることもたくさんありますが、
根底にある愛のエネルギーの純度が心配のエネルギーよりもとても高い時は、私もダイレクトに届いていつも涙が溢れたりします。
神社でお願い事をしたらいけないなんて誰が言ったんだろう?
いや、その真意をわからずに、何も知らずに私は鵜呑みにしてました。
それに気づいて愕然とした。
祈りは行い。
祈りは尊い。
大切な誰かのことを思う。
その想いは神社という場所で、神様(集合意識)を経由して届く。
もちろん、神社じゃなくても届くよ。
どんな言葉でも
どんな場所だって、
届くのはいつもその想い。
決まりや方法を気にするあまり、大事なことを忘れないで。
どんな想いを行動や言葉にのせるのか。
そしてその想いは必ず届く。
それは、「自分でなんとかしよう」という自己(エゴ)から離れて、流れを信頼する、という事でもあるからです。
神社に行って大切な人のことを想って祈ろう。
純度の高い愛をみんなが繋がってる宇宙(集合意識)に打ち上げよう