土曜日は楽しい酔っ払いとなったので、日曜日の朝は、乱れた部屋やたまった食器や、汚れたテーブルなんかを片付けることになるのですが・・。
私のことを好きすぎる娘は、私のことは好きだけど、よくケンカをします。
「なんで私がしないとあかんの?」
という言葉を発して、私がキレるからです。
そもそも家事は母親の仕事じゃありません。
家族は一緒に暮らしている共同体です。
誰かが何かをやらなくちゃいけない、というのではなく、得意な人がやってて楽しいことをやっていけたらいいんですよね。
私は実は家事が得意です。
でも、好きではない。
私がやれば、早いです。
でもやりたくない時もある。
そもそもこれは私が担当の仕事ではない。
で、汚れた部屋のクリーニングをやってほしいと言った時の娘のセリフがあれ。
「なんで私がやらないとあかんの?」
このセリフの裏には
「私の仕事ではないことを」
が隠れている。
学校でも言われるじゃないですか?
「家のお手伝いをしましょう」
とかさ。
「お手伝い」
という認識が間違っとるんじゃーー
と思うんだけど。
よく話題になる、育児や介護なんかでも、ダンナが妻に
「手伝おうか?」
というセリフ。
家事や育児や介護は母親の仕事である、
だから、主体ではなく、手伝おうか?という認識。
その認識を疑ってみた方がいい。
子どももオットも自分もこの認識であると、母親は忙しさと重圧で「おんな」ではいられなくなるし、ガマンしてブチ切れて家族というベースが崩壊する。
共同生活者である、という認識は、子どもであっても一人前の人間として扱っているという尊厳をもたせることになるし、それには責任も伴うという一つの社会なんだと思ってもらえたらいい。
子どもは親の付属ではなく、
「一人の大切な存在」
として扱うということだから。
つまり、「手伝う」というスタンスではなく、主体者としてかかわる。
平日は仕事があったり、学校があったり、宿題があったりするだろうから私がしているだけだ。ということ。
それを踏まえてのそのセリフか、ああん?
というわけ。
「じゃあ、母親の仕事って、なんだろうね?」
ってダンナが訊くから、
「さあ、ただの呼び名じゃない?」
って答えたけど、
母親の仕事ってさて、なんだろう?