やっちまった、やっちまった。

また自分の問題ではないのに、首を突っ込んでしまった・・。

 

 

私は数秘「11」なのですが、「11」は「2」の要素を持っているのですね。

「2」は二つの違う要素の仲を取り持つ、というような役割があります。

さらに私は「7」という数字も持っています。

「7」は不平等や矛盾に敏感という要素もあり、ぶっちゃけいうと、とても正義感が強い、というか、誰かが困っていると言わずにはいられない、というか、熱い一面があります。

何が正義か、何が不平等か、はさておき。

 

 

いろんな真理を探究してきて、ずいぶんと私も変わることが出来ました。

人が困っていることは、私の問題ではないし、

矛盾があっても、それに対して怒ったり、何とかしようとするのではなく、

「私がどうしたいか?」

を優先して行動できるようになってました。

 

いつも、「私が思う」正義を振りかざし、結局は自分が傷つく、を繰り返していたことを思うと、自分の「どうしたいか?」に集中できるようになったことが本当にうれしくて。

 

 

それなのに、今日はつい、首を突っ込んでしまった。

私は別に困っていなかったのに。

私はそんなに不満でもなかったのに。

みんなの思いを、不満をつい伝える羽目になって。

 

 

自分が首を突っ込んでしまった後悔で胸が苦しくなった。

「こんなの正義でも何でもない、ただ責めているだけだ。」

 

伝わらないもどかしさと、

わかってもらえない悲しさも交じり、

心のモヤモヤイライラは、どの思いから来ているのかわからなくなって。

 

 

 

一人でそっと、内観してみた。

 

責めている。

「やっちゃったね。首突っ込まなくていいのに。なんでまたいつものようにそんなおせっかいするの?ばかじゃないの?正義感ぶって。あんたは何にも得しないのに。むしろ嫌がられたりするのに。」

「ばかじゃないの?」

「ばかじゃないの?」

「ばかじゃないの?」

「ばかじゃないの?」

そんな言葉をハートに浴びせてる。

 

 

私ったらヒドイ。

そんな言葉を私に浴びせるなんて。

 

 

だからこういってみた。

「正義感強いね!」

「責任感強いね!」

「やさしいね」

「よくやったよ」

「誰も言えない事、言えてエライよ」

「えらい!」

「よくやった!」

「がんばった!」

「それが自分らしくていいよ」

ハートがとっても喜んで、もやもやがどこかに消えていった。

 

自分が自分を責めている。

それが一番のモヤモヤの原因だった。

 

 

もやもやが収まってから、改めて思考してみた。

人が困っていることは私の問題ではなく、その人の課題なんだということ。

そしてそれは、望んではいないにせよ、本当は望んで引き寄せていること。

私の正義感は、矛盾や不平等があって初めて発揮できる要素であるために、何度も表面上に表れてくるのだということ。

 

「じゃあ、私はどうしたい?」

と、ハートに問いかけてみたら・・

 

 

知らんがな。

 

投影とか、価値観が出てくるとか、どうでもええがな。

 

言いたかったら言ったらええし。

 

自分責めんかったらそれでええがな。

 

とか、出てきた!!(@ ̄Д ̄@;)

 

 

思考はごちゃごちゃうっせーよ。

ということらしい。

 

なんちゅーシンプルなんやゲラゲラ

ほっとしたわあドキドキ