「ありのまま」の話をね、ダンナにしたのね。
 
私たちはただ存在する。
 
それに、いろんな常識とか価値観を身につけて、それを自分だと思い込んじゃった。
 
それに縛られて息苦しくなってる。
 
自ら着た着ぐるみにありのままの自分が沿わなくなると、自分を責めたりするし、着ぐるみに合わない人を責めたりする。
 
 
うるせー、と思っただけなのに、
「子どもにこんなこと思っちゃダメなのに。母親失格だ」
とか、
なんかいやだなー、と思っただけなのに、
「こんなに良くしてくれているのに、キライだなんて思っちゃいけない。私ってなんて恥知らずなの」
とか自分を責めて苦しくなったりするんだよね。
 
 
 
するとダンナはさ、
あんぐりピスケ「そんな人いる~~え━━━(゚o゚〃)━━━!!!」
っていうの。
 
あんぐりピスケ「普通に思うやろ。思っちゃいけないなんて思うの?」
あんぐりうさぎ「思うんだよ。だからウツになったり、病気になったり、自殺したりするんじゃん。」
あんぐりピスケ「そら、病気になるわ」
と。
あんぐりピスケ「ねえ、ホンマにそんな人いる?俺の周りにはいないけど」
あんぐりうさぎ「じゃあ、私がウツってた時はどう思ってたの?」
 
あんぐりピスケ今、泣くのが流行ってんやなと」
あんぐりピスケ「あ、今、怒るのが流行ってるんやな、とか。感情の流行があるやん」
 
あんぐりうさぎカナヘイびっくり流行り~~( ̄□ ̄;)!!
 
はやりなんか、
流行りで済ますんか、
めっちゃ苦しかったけど、流行ってただけなん?
 
 
 
 
 
いや、マジ的得てるやんか。
 
 
 
 
 
感情は流行りのようにやってきて、過ぎていく。
ほっとけば過ぎていくのに、
「そんな風に思っちゃダメだ」
と考えたり、
「それはきっと私がこうだったから」
とか原因を探してみたりして、なかったことにしようとするからややこしくなっちゃう。
 
そしてその感情の流行りは、他人がどうこうすることじゃなくて、自分の中で流行が終わるのを待つしかないんや。
 
だからの放置やったんか~\(*`∧´)/オイ
 
 
それに、泣く流行りや怒る流行りを「悪いこと」と思ってないから放置。
私はそんな彼を、
「心配してくれない」
「気遣ってくれない」
と拗ねるのだけど、それさえも
「心配しないのは悪いこと」
「気遣わないのはいけないこと」
という着ぐるみに苦しんでいるということだよな、と気づくんですねー。
 
この人、すっぽんぽんなんかな・・。
 
 
 
着ぐるみを着ていない人といるのは時にイラつくけど、(←自分の思い込みが暴露されるとき)判断されないので自由でいられる。
それを自分にしてあげられたら、もっと天国になれるな~キラキラキラキラ