「女帝」のカードはありのままの自分でいれば大丈夫、という意味で、何度もこのカードを見ていたら突然、「ありのままの自分」というものが突然理解できたので、久しぶりにとってもワクワク~としましたキラキラキラキラキラキラ
私が思う「ありのまま」を言葉にしてみます。
 
 
私たちは、ただここに存在している。
そこに、いいとか悪いとかの判断はなく、ここにコップがあるように、ここに机があるように、ただ存在している。
 
そこに、誰かや何かと比べることによって価値観が生まれる。
○○に比べて背が高い、低い。
○○に比べてよくできる、できない。
○○に比べてお金がある、ない。
○○に比べて魅力がある、ない。
 
たとえば、
「私は背が低くて、何にもできなくて、お金もなくて、魅力もない。」
という自己像を作り、それが自分だと思い込む。
それを前提に物事を判断して、生きづらさを生む。という仕組み。
 
でも、自分が作り上げた自己像は虚像だし、感覚だし、実在しない。
本当の自分は、ただ「ここに在る」というものだから。
 
この「ただここに在る」というのが「ありのままの自分」
だから、
「ありのままの自分」は価値があるとかないとか、素晴らしい存在とかそうでないとか、そんな比較さえもない、絶対的で普遍的なもの。
 
 
自分は、ここに在る絶対的なものである、という自覚の上、この、分離の世界にいる以上、比較が生まれることを自覚する。
いろんな選択ができる世界で、自分は何を好み、何を選択して
「じゃあ、どうしたいのか?」
という魂の欲求を満たしていくために行動する、というプロセスを踏んでいく。
 
 
本質は「ただ在る」というもので、比較された自分は虚像だとしたら、なぜわざわざ満たされなかった過去にいつまでも囚われたり、まだ来ない未来に不安に思うためにエネルギーを使うのか、というものすごく素直な疑問が湧いてくる。
 
もう、自分が楽しんでいる未来だけを想像したらいいんじゃん。
結局、
「じゃあ、どういたいの?」
なんじゃん。
というシンプルな問いで解決する、というところにたどりついた。
 
 
「お金も時間も何の問題もなかったとしたら、あなたは何をしますか?」
という岡田氏の質問は、
お金や時間や問題は虚像なんだから囚われないで。
オールオッケーな「ありのまま」のあなたが何を選択して楽しむの?
という視点に気づいているかい?
ほら、肚の底から湧いてくるだろ?
耳を澄ませてみてよ。
っていうささやきドキドキドキドキでは?
 
 
未来を想像するのが苦手な私だったけど、空を散歩して町を見下ろすイマジネーションで遊べる。
現実的でない?
ワクワクして楽し~イマジネーションは楽しい現実がやってくるキラキラ
ワクワクしてリアルを生きる。
「ありのまま」の自分の視点を忘れずにドキドキドキドキ