うちのダンナは、
人の話をしません。
会社の話も、おもしろかった話以外はしないし、
「あの人があーでこーで、ありえねえ」
なんて言っているのを聞いたことがありません。
私は全記事の
察してよ、の世界から注文を出して望む世界へ のように
勝手に気遣って、勝手にいじけて、勝手に怒って、勝手に絶望する
人だったので、
「せっかく私が気を利かせてこうやったのに、こんな扱いするー信じらんねー。もうあいつの事キライ
二度とするもんかー
」
とダンナに泣きついたり、
「こんなことがあって、私はこう思うんだけど、どう思う?」
と自分の考えの確認をする、ことがよくあったけど、
ダンナのスタンスこそ私の目指すものだった、と気づいたんです。
ええ、やっと。
最初は話しないダンナに不満だったのに。
弱音や相談もしてくれないなんて、信頼されてないのかな、とか思っていたのに。
いつまで、どこまで人のことばかり考えているんだー
と、久しぶりに絶望しました
私たちはどうしても外側で起こっていることに反応します。
あの人があんなことしている!
あの人があんなこと言った!
それに対して、文句を言ってコントロールしようとしたり、
自分の正しさを押し付けようとしたりする。
あるいは、勝手に心配して、勝手に同情する。
え~い、もうほっとけ
大事なのは、外側でなく内側。
それはどういうことかというと、
あの人があんなことをしている!
あの人があんなこと言った!
事をどうにかしようとするのではなく、
それを見て、
もやもやした。
イライラした。
だけを見るの。
ただ感じるの。
人の感情を勝手に想像しない。
「あの人はきっと、内側に悲しみを抱えているに違いない」
とか勝手に決めつけない。
「あの人はきっと知らないんだ。教えてあげないと。引き寄せの法則はワクワクが大事なんだって。」
とか、聞かれてもいないのに勝手に押し付けない。
「あの人は間違っている!」
と勝手にコントロールしない。
↑
これ、ちょっと前の私ね。
「へーーーーそうなんだ」
で全部終わるんだよ。
私はそれ、いらないや
私はその感情、好きじゃないから楽しい方を選ぶわ
全部、自分がどうしたいかだけなんだよ。
そうしたら、話題に出るなんてことないの。
ダンナのように。
家庭内で、グチグチ言うことなんてなくて、
カラッと、
サクッと、
楽しいことだけ、
今日はどんな楽しいことしようか、という
本当に望む世界のことだけの会話になる。
冷たいんじゃない。
信用されていないんじゃない。
他人には他人の作り上げる世界があることを無意識に知っているんだ、と思う。
私は、
心配したり、教えてあげることが愛情だと思っていたからね。
他人の感情を勝手に想像しない。
自分の望む世界を想像して創造しよう。
クリエイションの始まり