今日、末っ子ちゃんが雨に濡れて、自転車でこけて、手のひら擦りむいて、しょんぼりと帰ってきた。

 

末っ子ちゃんはあんまり何にも言わないタイプ。

だから、私もあんまり聞かない。

言いたくなるまで待っている。

 

子どもの数秘はあんまり関係ない、って書いたけど(ここで☆)、あえて書いてみると、

末っ子ちゃんは使命数に「9」を持っている。

 

「9」の人は「自分を許すこと」がキーワードになる。

だから、許せない人や、許せない出来事を引き寄せて体験するの。

 

許せないのは、許せない人や理不尽な出来事なんかじゃない。

本当は、

「いやだ」と言えなかった自分が許せないでいる。

そんな、弱くて、みじめな自分を見たくない、認めたくない。それを受け入れることが使命だったりする。

 

「いやだ」と言わないのは弱いことでも、みじめなことでもなくて、相手のことがよくわかるから。やさしいからなんだけどね。

 

 

で、私はこれを知っていて、彼の人生のストーリーなのだから、私が心配したり、手を貸したりしてもしなくても、きっと経験していくことなのだ、と割り切れるわけ。

 

でも、これを知らなくても、子どもの生きる力を信じていれば心配したり、余計な手を貸したりしなくても平穏を保てる、と思う。

 

でも、やっぱり、心配したり、必要以上に手を貸したくなるでしょ?

なんでだと思う?

 

 

 

やっぱり、子どもの生きる力を信じていないから、だよね?

じゃあ、なんで子どもの生きる力を信じられないんだと思う?

 

 

自分の人生の幸せは、自分の力ではどうにもならない、とどっかで思っているから。

自分の生きる力を過小評価しているから、なんだよね。

 

 

だから、子どもの問題は結局は自分の問題なんだ。

 

子どものことを心配しすぎたり、手をかけすぎたりする前に、

もっと自分に、自分の「どうしたい?」を大切にしなくちゃいけない。

 

 

子どもは育児書通りには絶対育たない。

私が、子どもをよく見て、心で感じることをする。

よく見ていたら、「おかしいな」というのはすぐにわかる。

今日もおかしかった。

 

私が感じたままに、黙って頭を撫でて、抱きしめて、一緒にお風呂に入った。

正解かどうかなんて、必要ない。

私が感じたことを私がしてあげる。

それで元気になるかどうかは彼次第。

 

でも、私は子どもが自分で自分を幸せにしていくことを信じているから、それでいいんだドキドキドキドキ

 

同じ未来を向いてみている。

親子もそうね。

 

 

 

なんちゃって、私も日々練習中~

時々間違うさ、にんげんだものゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

ご愛敬だよね~爆  笑爆  笑

 

 

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