お久しぶりになっちゃいました
子どもとの夏休みを満喫しています
大切な人が心を痛めていたり、悩んでいたりしてて、
勇気づけてあげたいな、と思っていた時、
その人は自分以外の誰かに相談したりして、元気になっていたら
「なんで私に相談してくれなかったの?」
って悲しくなったことありませんか?
自分が何の役にも立たない人間に思えて、
私は大切な友達ではなかったのかな?って思えて、
そんな友達が少し遠くに行ったような気がして、自分の悩みも言えなくなるようなことが私にはありました。
最近、心を痛めている友人が違う友だちに相談しているのをみて、私は心底
「よかったね~」
って思いました
私に相談しようが
他の人に相談しようが
心を痛めた人が元気になればそれが一番幸せなことでしょう?
ラクになってよかったね。
幸せになってよかったね。
その思いが純粋にココロに湧いてきて、ホッコリうれしくなりました
私が役に立つとか、立たないとかは関係ないというか、そこに意味を持たしていたのは自分だけ。
役に立ったら自分が満足なだけで、その人の役に立ちたいかどうかの純度はむしろ低いんですよね。
自分の価値を、誰かの役に立つことで推し測っていたんだな、と今なら気づく。
そして、自然とそのワナから抜けていたことに気づいたんです。
ほら、誰かの役に立たなくてもいい
お母さんを幸せにしなくていい、って言うじゃないですか?
その人を幸せにする間口を自分だけに限定しなくても、他の人でもいいんですよね。
そんなことすら宇宙にお任せ
そして、自分が幸せにしなかったとしても、あなたの価値はそこに何の関係もないということ。
それからね、
知らないフリをして笑顔でそばにいるだけでいい時もあるでしょ?
あなたの出番はそっちかもしれないよ。
自分が思う方法だけが全てじゃないよね。
役に立つとか立たないとか、
価値があるとかないとか、
そんなものはどこにもなくて、ただ私はここに在る。
それだけなんですね。
誰かの役に立とうとしなくていい、っていうことです
そんな暇があったら、自分の好きなことをひたすらやり続けよう