OKADA記事でいい気分になったところで
今日の記事で~す
昨日のHappyちゃんの記事、めっちゃよかったね~
いつもすごいピンポイントで目の前に現れてくれて、宇宙の采配は完璧だと感動します
実は昨日、ちょっと胸がザワつくことがあって。
結構な人気ブロガーさんが言われていたことに
「え~私はそうは思わない」
と反論したくなったの
すぐに反論記事書こうか、とまで思ったほど
そのときに湧いてきた、いつもの感覚
「わかりあえない」
という、無力感
「だから、大勢の人と一緒に居たくない」
自分だけの美しい世界が、そうでない世界に踏みにじられるようで。数の力で押し切られるくらいなら一人でいたい
と閉じ籠ってきた自分
その自分の世界に籠ろうとささやきかける、エゴの自分
そんな時のHappyちゃんの記事だった
Happyちゃんの言うように、
私が一人で籠っていたい時は
集団の中で自分を見失ってしまいそうになるから
そんなのイヤだ、と本音がうずいて
みんなとうまくやっていかなくちゃダメだよ、という思考と戦って
本音の私が絶望して
わかりあえない無力感を感じてしまうからなんですね
昨日、そのことに気づいて、
「ジャネットは自分のこだわりを話してくれただけ。
それを別に強要してる訳じゃない。」
を読んで。
そう、いつも誰も強要していない
自分の意見を述べているだけ
私の胸がザワついた人気ブロガーさんだって
何も強要なんてしていない
それを恐怖だと感じていた自分
戦わないと、押し切られる恐怖におびえていたのは自分
誰も強要なんてしていない、のだとしたら
今この瞬間「私で在る」ことに集中できるとしたら
私はどう思うの?
答えはもう明白だったよね
私は私の感じたことをただ信じていればいいだけ
人気ブロガーさんが何を言っても反論することもないし
その記事を誰かがリブログしても不愉快になんてなる必要もない
Happyちゃんがジャネットに
アツくブッフェのことを語った彼女に
『じゃ、ブッフェ取りに行ってくるね!(≧∇≦)』
と言えたように
私も私の信じることをさわやかに表現していけばいいだけなんだ
正しい、正しくない、があるんじゃない
戦って言い負かしたら勝ち、なんじゃない
お互いが信じた世界に生きていて
それぞれが楽しいね、で生きている世界
わかりあえない、のはそれぞれの意見や考え方なんかじゃない
自分が「どう在りたいのか」
がわからない時
相手の「どう在るか」がわからないだけ
たくさん、他人の意見と戦ってきたなー私
もう、戦わなくていいんだなー
打ち負かすこともしなくていいし
我慢して誰かの意見にうなずかなくてもいいんだな
私の本音をもう絶望させずに済むんだな
自分の感覚にYESを。
「そんなクズ、守る意味なんてあるのか?」
の言葉に惑わされたりしない
SP井上はどう在りたいの?
ただ、それだけさ
なんちゃって うふ