> あのまだるっこいような、圭角(けいかく)のとれた関西弁は、「論争」や「処断」の言葉ではなく、「話し合い」の言葉なのである。
> 小松左京
(折々のことば 選・鷲田清一)
小松左京さんの言葉は嬉しい限り。
でも鷲田さんのコメント
「私も大阪出身の友人に、発言は次に話が続くような仕方で終えなければならないと言われたことがある。」
には、これってどうよ?と思った。
このような発言の仕方が許されるのであれば、
その人の真意をわかっていないとその場が円満な場にならない。
賛成にしろ反対にしろ、
意図がわからないと、その人の言葉の後で話を続けることができない。
わかっても、反対はなかなかしづらい。
人のコミュニケーションスタイルを分けるタイプ分けにはいろいろあるが、
相手の意図をわからないなあ、と思うことが多いし、
わかったとしても、・・・・結局、人の本心って、身も蓋もないことが多い
賛同できなさすぎるほどの考え方の違いがあると、
それを上手に返す言葉をその場で見つけることはなかなか難しい。
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冷静に考えて、
「発言は次に話が続くような仕方で終えなければならない」
これって、どういう目的があるんでしょう?
口を挟ませない?
反論させない?否定させない?
「話をする人」という立場を他に誰にも譲らない?
権力を持っていることの誇示行為?
そんな話し方をする人が体験を話す場で延々と話し続けて
以前困ったことがありました。
ほかの人は気にしていなかったようですが。
やっぱりそこは、端的に、結論と、まだ言い切れないことを明確に分けて話してもらいたいものです。