「他人に与えてもらう夢は『娯楽』と呼ぶ」 | Core Infinity Views

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『原点』を一緒に創るコーチ 若狭 喜弘 の視点を記します。



岡野由美さんの「ぼんぼんすふぃあ」を読んでいて、
ポン、と膝をたたいたことがある。

中のフレーズにこのようなのがありました。

「他人に与えてもらう夢は『娯楽』と呼ぶ」

これなんだよね。

「娯楽」 に 「Entertainment」 の訳が当てられていて、
 まさにそれだと思ったのだ。

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仕事の方が尊いとか、娯楽は下等などとはいわないが、

仕事帰りに一杯飲んでくる とか、
マージャンをする とか(今の時代ではないかな)
競馬に行く とか
テレビを見る とか

子供たちだったら、

ゲームをする とか
ゲームセンターに行く とか。

「消費」 する 『娯楽ビジネスのお客さん』 なんだよね。

そんなのを、「やりたいこと」 「夢」なんて言うな!!という話。

もし、「ディズニーが好き」というのだったら、

   「ミッキーになったらよくって、
   その代わり、常に誰かから見られる生活をしては?」

という話。
お金を払ってもてなしてもらうことを目指してはダメだ。
もてなす側・・・・でもなくて、
自分ができるサービスを提供する立場にならないと。

結局、やりたいこと、夢が 『娯楽』 の範囲のことだったら、

   「誰かからもてなされること」

じゃないか。

だとしたら、そんなことを「夢」 「やりたいこと」なんて言っている人間の小さなこと。

それで満足しているなら、それでもいいけれど。

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ロボット教室で、
「うちにはテレビを置かないんだ」と話すと、

「テレビはおもしろいよ」
「お金ないの?」
「うちで使わなくなったのあるから使う?」などと言われる。

子供たちは、時間の使い方について考えたことがないから、
あまりに自分たちには潤沢すぎて
あり余っているので、
友達同士で遊ぶことが終わったら、
今の時代は 「娯楽」 に行くしかない。
おとなが 「娯楽」 に連れていくし。

さらに逆転現象が起こっていて、
「娯楽」 が先に子供たちのスケジュールの枠を占めるようになってきているようだ。

学校と塾で予定がいっぱいだと、
「娯楽」 が必要だよな。
「娯楽」 は、自分で予定を決めているわけではないけれど、
「他人から決められた時間」ではないからね。
受け身の時間でも、まだ自分の時間だから、
「娯楽」を先にスケジュールしてしまう。

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僕はね。

娯楽に僕自身の時間やお金をかけるのをとてももったいないと思っている。
そんな時間があったらもっとやりたいことがある。
誰かから指示・命令されたことではなくて、
「やらなきゃいけないこと」がある。

(このことは、子供たち、サラリーマンしか経験していない人には理解しがたいことらしいが)

だから、僕の時間やお金をそんなものに使いたくない。

だから、僕の夢ややりたいことは 「娯楽」 じゃない。

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今、一つ気づいたのだが、
子供たちがゲームをしたがるのは、

もしかすると、
「失敗してもやり直せるから」
かもしれない。

もしくは、
「学校の勉強と違い、失敗しても、人生には何の影響もない」
からかもしれない。

自動車教習所内の運転の前の、コンピューターシミュレーターの段階だな。
教習所のコースに魅力があると誘い、
実技コースに誘い、
一般社会に出航させることが必要なのか。

モデルもきちんと見せないといけないな。

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「娯楽」 を 「夢」 や 「やりたいこと」 などという人とあまり付き合いたくない。
疲れていて、癒されたいのであれば、
まず疲れをとって、癒されてから来てほしい。

「もてなされる」 よりももっと楽しい世界にはおつきあいしよう。