6000年前の岩を削ったインディアンの跡。
っていうか、6000年前から600年程前までのものなど、混ざってるらしいです。
こういう人の歴史を見ると(拡大したい人は写真をクリック!)、私はいつも人間と言う生き物として原点に戻れそうな感覚に陥ります。
同じ脳みそを持ち、同じ機能をする体を持ち、同じ人間である。
でも彼らは生き方が違った。
そりゃあテクノロジーも無い様な時代だったから、今と違うのもあたりまえだけど。
「今の現代の生活の方がじゃあマシでいいものかね?」
っていう質問に、、、私は、、、
「たぶん昔の古代の人々の方がもっと人間的であり、人間以外に存在する生き物や環境などと共存して平和だったと思う、、、。」
と答える。
今の方がマシ?っていう質問に、そりゃあ我侭になって、人間だけのことを思うと「そりゃあ蛇口をひねれば水は出るし、風呂も苦労なく入れるし、車があって移動も楽だし、心地いいベッドもあるし、店に行けば食料品がいっぱいあって食べることに苦労しないし、生活的には楽じゃね?って思う。
でも、この人間にとって楽な生活の後ろには、物凄いマイナス面があるんです。私たちにとって「楽」というために、無意味なほどに沢山牛やブタや鳥を汚い狭い、鉄で囲まれた悲しい環境で生ませて育て、無理やり太らせてから多量に虐殺し店に売り出される多くの動物たちは、太陽の日を見ることなく暗闇で育てられてるとも知りました。売り出されて大切に食べられるのか、と言うと、結構な量の食料は悪くなっただとかで捨てられたり、家庭でも料理されずに、食べられることなく捨てられたりしている。
野菜達だって同じ。 魚たちだって同じ。
野生の生き物や植物たちは人間たちがどんどん自然を切り開いて「人間の便利な生活」のためにどんどん狭い地域に追いやられ、または絶滅の危機に面し、車や向上からの大気汚染から土壌汚染のおかげで地球は汚れ、気候も変わり、「豊かな美しい地球」はどんどん失われていっているのです。
そういう私も車に乗ってます。人間社会で便利な生活をしています。
そんな自分を複雑に思いながらも、この環境で生まれ育っていると、この社会で生きるには必要な状態でもある、、。 でもどんどん失われていく豊かな地球の美しさを大切にしたい気持ちと、日々複雑な気持ちでいます。
原始的な暮らし、、、狩をして、必要な食べ物だけ必要なだけ食べ、必要な分だけの野菜を畑で作り、お金という人間の汚い心の面をくすぐるものは無い状態で、持っているもので交換したりしていた世界。
流れる川から水を汲み、自然界に存在する恵みから陶器を作り、器を作り、籠を作り生活する。
仕事に行く時間や縛られるルールも無い。私たち人間は生まれたときからスピリットの中にちゃんと生きるに当たり、してはいけないこと、してよいこと、良し悪しがプログラムされているんです。だから人に教えられなくても、人を傷つけたりすることはしないんです。でも精神的に病気になってしまった人はその面が欠けていると言われています。この精神病も、現代の環境から生まれた現代病と言っても過言ではないと思います。
本当は私たち人間は、昔の様に山や川、海や緑と共存し、欲にかられすぎず、最低限の生活を楽しみながら仲間を大切にし合いながら地球を大切にして生きていくべきであるのでは、、、と思います。
今の人間の生き方は、自然界と共存していません。
人間には自然の支えが必要だというのに、多くの人は自然に触れることなく生まれ育っていきます。
大自然に行くと、「あぁ、綺麗だね、でも、何にも無い」と言うのです。
全てここにあるじゃない!!
って思うんですが、「何も無い」と言うのです。
そんな現代の生活からこの先未来はどうなるのか、、、と不安があるのです。
地球の歴史が長い中、このテクノロジーが発達した人間の行き方は、ほんのひとつまみにもならない程度の短い期間。でも物凄い速さで地球を破壊しているのが恐ろしい。
人々が中身から綺麗に代わり、欲を最低限に減らし、お互いを思いやり、お互いを尊重し、お互いを認め合い、地球、自然界がいかに自分たちにとって大切なものであり、何よりも大切に守っていかなければならないか、共存していかなければならないのか、ということに目覚め、スピリチャル面で覚醒出来れば、人間も自然も守られて素晴らしい地球環境になることが出来る。
私に何が出来るんだろう、、、と考える日々です。