写真の整理をしていたらこんなものが!!コルビュジェ君のブログ

むかし作った建物のトイレの竣工検査時の

写真。。。

なんとこの日の役所からこられた検査員は

”かめさん”

かなりの人生の先輩だけあって

指摘事項が多かったような。。

たくさんの関係者のなか自分で試された

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検査院は

わたしの建築人生の中でこの方だけ。。。






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横浜は関内に向かう道中

シンプルな劇場だなあと足をとめたこの建築物は

実は倉庫!!

ガルバに覆われたなんともシックでモダンないい感じ!

誰の所有物かとのぞいてみると表札には

”Taisei Corporation”

の文字が!!

コルビュジェ君のブログ 自社用倉庫としてはゆずれないなにかが

倉庫といえども。。。 さすがはスーパーゼネコン様!

そんな感じがひしひし感じる。

う~ん。

きらいじゃない。

でも世の中の建築たちはだんだんと無印化になり、いまやそれさえも

超えてしまった感が。。。

おっもしろくないものに日々追われているよりもこっちがコルビュジェ君のブログ

ましだなあ。倉庫だよ倉庫! 

所詮倉庫よ。 

その所詮感をうらぎっていただけた心地よさ。。。。

そんなことをぶつぶつ念じていた本日でした。

























待ちに待ったGW終了!!


GW終了は僕にとってつらくてしょうがないスギ花粉からの開放宣言!


昔この時期(2月~5月)にヨーロッパでバックパッカーをやっていたときにはこの苦しみは無かったことを思い出しながらもこの時期だけでも花粉が無い国で生活できるようになることが今の僕の一番の成し遂げたい未来図。


そもそもなしてこんなにスギ飛んでんの???


昔は花粉症は無かったのにってよく親が言っていたような???


誰が悪いんだ!思ったことを他国に言いふらしてくる鳩さんの山が原因か? ちょっと太った自称占い師に相談した農林水産業の偉い人がスピリチュアルにはまった結果なのか? 


知りた~い! この苦しみの原因を。。


ということでウィキペディアに教えてもらいました。



【僕のスギ花粉の症状発生の歴史的メカニズム】 


①戦後(S20年以降)の復興のため、S30年に拡大造林という林業政策によって太平洋戦争で荒れた日本中の山にスギが人口的に植林された


②しかし、戦後復興(都市開発等)において木材の需要が急増し供給が追いつかなくなり木材の価格が高騰。


③その結果、S35年以降になると木材製品の輸入自由化を政府が認め、海外からの安価な木材が国内に出回るようになり、建築資材の下落がおこり、適切な植林地の手入れが行われなくなる。


S29~S48年(1954~1973年)に高度経済成長が続き、その間にも無計画なスギの人工植樹は行われた。

 ※現在スギは日本の森林面積の28%を占め、そのうち、人工林の9割は戦後の植樹。


⑤1964年にスギ花粉症患者初めて報告される。


⑥最近では、雨で土に流れるはずの花粉が道路のアスファルト等により阻害され、大気中に漂うことになり、現在国民の10~20%という国民病になった。


[参考数値]


スギ花粉症の有病率(2008年)


1位 山梨県(44.5%) 2位 高知県(41.2%) 3位 栃木県・埼玉県(39.6) 5位 静岡県(39.2%)

46位 沖縄県(6.0%) 47位 北海道(2.2%)



う~ん。。。日本にいるならば北海道ですなあ。


結局はがんがん行こうぜって感じで作りすぎちゃったんだね。


価格競争に負け、需給を読みきれず在庫管理ができなかった会社からの有害物質垂れ流しって感じ???


どうせなら、その会社(制度)つぶして税金使ってしっかり管理してほしいものだ。


いろいろあったんだろうねえ。


次は林業とその取り巻きについて調べるとしよう!













まいった!


ありそうでないこの手の物語。


やっぱり謎解きはさせちゃうんですね。東野さん。


それもこんなにやさしく、懐かしく、そんでもってすっきりさせちゃうんですね。相変わらず。


なにも感想がかけないほど無駄のない物語。


はなせない。。。だから読んでみて。


きっと、参ったといえるから。


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少し報告が遅くなってしまったのですが、5/24にコルビュジェ君のブログ

仙台空港周辺、仙台港、そして石巻へ。。。。


被災地に何ができるのかを、


普段の生活や携わる仕事での心の持ち方を考えるために、

この目で見てきました。


仙台駅へ到着後、レンタカーを借り、仙台市内から


真東にある仙台東部道路仙台東ICへと。。。


そして高速に乗った僕らの目の前に現れた風景に

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愕然としました。


一言でいうと、「何もない!!」


太平洋と平行に走るこの高速道路が防波堤となり、


この道が津波を止めたのだと瞬時にわかりました。


そして、岩沼から仙台港への海岸地域を移動したときの


風景が今回の写真になります。


日本に生まれ日本の土地で建築の仕事を生業と


コルビュジェ君のブログ

している僕にとって


地震の被害とはまったく違う自然の力を強く感じざる終えなく


そして、向き合っていかなければいけないものだんだと


脅威を感じつつも、生きていくうえで必要なエネルギーの


変動だったのではないかと感じた時間でした。


これから何回かにわたって現地を見・聞きし思ったこと


がありますので書きたいと思っています。



今幸せに生活をすることができる僕らにとって、この行き詰まり感のぬぐえないこの日本の将来を


あらゆる面において考え、実行していく本当の時間なんだろうね。

被災地の早期復興の為にも成熟した日本のあるべき姿。


政治、家族、仕事、恋愛、住まい方、働き方。。。。。。


間違いなく必要なものだなと思う今日この頃です。