床に 寝そべって 猫が ひなたぼっこ
私も まねして 寝転がる

うららかで あたたかくて
じんわり じんわり

そんな 陽だまりにいると
細かいことは どうでも よくなる

ただ 静かに 目をとじて
あたたかさを 体の 内側にも
感じていく

すると 自分の内にも
やわらかな 陽気が そなわっていたことに
気がついて 
ホッとする

太陽の光と 内側の 陽気が 混ざり合う


「私は 今 生きている。。。」


こんな感じも 悪くない




ありがとう

あのとき 二人の関係を 修復しようと
心を 傾けてくれたこと

結局 離れ ばなれに なってしまったけれど
とても 感謝している

私達の間に生じた 不具合を
こまめに 修復しながら
関係を 維持することも できたかもしれない

でも、
こうやって 別々の道を 選んだ今

あの時、 私達が 関係の修復に ついやした
エネルギーと 時間は
かげがえのないものだったと 確信できる

なんとかしたいと 思った気持ち
その先に 違う未来を 選べたこと

たぶん  また
私は 誰かとの 関係修復に 苦心するだろう

あなたも そうかもしれない

そんな時 きっと 思い出すだろう

それだけ 大切に思う 関係性を
誰かとの間に 築けたという 幸せを




窓のある 風景は とても 絵になる

たとえば、 映画や ドラマの ワンシーン
 
窓越しに 愛を語り合う恋人たち
窓を開けて、出かけていく夫や 子供に 手を振る女性

逆に
窓を閉め切った部屋には、
心を閉ざした主人公が住んでいたり。

窓を開けると、
気持ちのいい風が 入ってきて 部屋の空気を新鮮にしてくれる。

でも、 嵐の日には
しっかり窓を閉めないと、雨風を防げない。

心を閉ざした 主人公は
もう 嵐が 去っているのに 気付かないで
窓を閉めたままでいるのかもしれない。

私達は 
窓を開けることも 閉めることも 自由にできる

開けっぱなしてもいいし、
閉め切ったままにすることも 選べる。

でも、
数えてみると。

嵐や 台風より
おだやかな風が吹く日の方が 多いような気がする。



優しい人であろうとすることは、素晴らしいこと。

でも、

本当の優しさは、 「さりげなさ」 そのもの なのかもしれない。

私自身。
優しい人でありたい。  と思った瞬間
「相手を思いやる」 という気持ちと同時に
さまざまな 「自分のため」の要素が くっついてくるように思う。

「私も 優しくしてほしいから。。。」 
「優しい人って思われたいし。。。」
「人間関係を円滑にするためには、当然のことでしょ?」
などなど。。。

ふだんは、意識もしていないけれど、
私が 優しい人でありたい理由は  いろいろと  ある。

でも、 「さりげない優しさ」 は
ふとした 瞬間に ふとした仕草や 言葉に 出てくる。

相手が、その優しさに気付こうが 気付くまいが
そんなことは どうでもいい。

自分自身も、 それが 「優しさ」 だという事に、
気付かないのかもしれない。


私達は、じつは
そんな 「さりげない優しさ」 に 囲まれて
生きているのかもしれない。






人生という 道のりを進む時
あちらこちらを ながめて 楽しんで 
ゆっくり行く人もいれば


まわりに目もくれず 目的地に向かって 
駆け抜ける人もいる

そして
向かっている方向も たどり着きたい場所も

人 それぞれ


時々 とても 辛いのは
同じ行き先に向かって 一緒に進んでいた人が
本当は 違う方向を 望んでいたとわかった時

私は 私の人生の行き先を 変えることはできないし
また その人の望む行き先を 変えることも できない

一緒に進むことができる 最後の駅まで行って
それぞれの方向に進む列車に 乗り換える

お互いの乗り込んだ列車は 
ただ それぞれの終着駅にむかっていく

私は 私の乗った列車で
同じ方向に向かう人々と出会い、車窓の風景を眺める

あの人も また そうやっていることだろう

きっと大丈夫 元気で 笑っていることだろう


そう 信じることができるから
私もまた 自分の道のりを 思う存分 楽しもうと思う