Intestino delicadoのブログ

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メディカル翻訳者が、日々の出来事や思想を綴る日記。

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今朝の朝刊で、こんな見出しの記事があった。医療に関連する仕事をしてきた私には、興味深く、見逃せない記事だ。
指針案の抜粋は、
・人工栄養法を導入しない選択肢も示す。
・本人の益にならないと判断できる場合は導入しない。
・人生の完結に有益なときの導入は妥当
・導入後の中止、減量もありうる
・家族の都合で本人の生の長さを決めない
とのことである。

この議論はとてもナイーブな問題で、賛否両論が予想される。

明らかに生命を延ばすことができる、人工栄養法という技術が存在するにも関わらず、それを利用しないということは、患者を見殺しにすることにならないか。

一方、そういう考え方から、どんどんその技術の利用者は増えたものの、寿命を迎えつつあり、衰えているご高齢の方に、本人の意思を確認することもできぬまま、その手術を行うことで、寝たきりのまま、ただ命を延ばすことが、正しいのだろうか。現場を目の当たりにして、そんなように痛感することもあった。苦しむ時間を延ばしてるのではなかろうか、と。

元気になり、また口から食べられるようになるようなケースもあり、そんなときは明らかに有益だといえるのだが。

ここでの課題は、その患者にとって、その治療が有益であるか否かを、その家族が冷静に判断できるのだろうか、ということ。また、仮に十分な情報を得て、判断出来たとした場合、その決定をすることは、多かれ少なかれ、患者家族が患者の生の長さを結果的に決定してしまうことになってしまわないだろうか、ということである。

そんな問題を抱えているので、慎重に様々なケースを考慮して、細部に行き届いたガイドラインができることを期待している。