こんにちは。

現在小学1年生の息子れんの過去の記録です。


幼稚園も三学期になりました。

苦手なイベントも一通り終わり、卒園式を残すのみになりましまた。



他害、言葉遣いについて、指摘が多くて、

衝動的に怒る

衝動性がつよいのかな?とか、

自己抑制機能が低いのかな?

とか、

その都度、指摘があれば、叱り、言い聞かせをして居ました。


それでも、直ぐに、今日言って、明日から改善するわけもなく、


もはや指摘され過ぎ、またですか…。



それがどの程度のものなのかとか、
指摘されるほどひどく叩くのか?
ただ、軽くしているだけのものなのか?


ヒートアップする前に、対応してもらえているのか?




思うところはありましたが、


もう、期待したり、希望を言う気持ちは残ってなかったと言うのが、

正直な気持ちでした。


保育士ではなく、幼稚園教諭。
そこの区別を、しっかりしている考えの園でした。



なので、保育より教育を重視しているのだと思います。


保護者と先生の、必要以上の距離を近づけることは、しないようにというのが、園長の考えらしいです。



なので、寄り添ってもらっている感覚はありませんでした。
そして、対応もれんのために、というよりは、


この園のあり方というか、しっかりした園に見せるということが重視されているように思いました。



指導も、定型の子供たちに向けたもの、れんのように、発達障害の症状がある子にたいしては、


対応するのは、部屋を分ける、出来ない時は見学。
一人先生がついている、あるいは、ふらふらしていても放置。


やれるように、出来るように、


そういう感じではなかったです。
特に、年長の一年はそう思いました。


年長は、もう一番上のクラス、何でも出来て当たり前。
うちの園の子供は、出来るように教育しています、そういうのが見えました。



私がそう思っただけかもですが。

苦手な活動は、無理をさせない。

でも、小学校が見えているのに、その対応をされることには、不安はありました。




私が見るのは、お迎えの時のほんの一時。



普段はどう過ごしているのかは、ほとんど分かりませんでした。


ただ、れんは、毎日楽しい、楽しい、そういって通っていたので、



私が思うほどは、もしかしたら寄り添ってもらっていたのかもしれません。




ただ、そのときの私には、そうは思えなかった。

指摘されるほど、とても孤独感を感じて、また、れんの将来が不安でした。