こんにちは👋😃


現在小学1年生の息子れんの過去の記録です。
これまでの成長のまとめとして、残しておこうという想いで残しています。



幼稚園年長、最後のイベントである生活発表会も終わりました。


辛いイベントも、何はともあれ、これで最後。後は、卒園するばかりになってきました。




この頃の悩みは、やはり、相性の悪い、グレーのA君との関係です。

気持ちが崩れたときに、手が出ると言われてました。

ただ、親がいるとき、私が側に居るときに、手を出したりちょっかいをかけてくるのは、必ずA君の方でした。


普段されているから、という捉え方も出来るのかもですが、
普段ももしかしたら、こうして始めにやられているときもあるのかな?と思いました。

一緒に遊ぼう、とA君に言われても、

嫌だ、と答えるれん。

そして、そうすると泣かれる。
いじめてると思われて、怒られる。


そういうのの繰り返しが、二人の関係をここまで悪化させていったように思います。






れんが手を出した場面を見た先生は、必ずれんが先に手を出した、という判断です。

そういう話ぶりをされます。


A君は、泣くことしか表現出来ないから、ただただ泣いてしまう。そうすると、必ず怒られる立場は、怒っているれんでした。


A君が、叩き返してきた事とか、先に手を出したとか言う話は、されませんが、れんから聞くこともありました。


全てがそうではないと思います。
言葉も、まだちゃんと細かく説明できる程は成長していませんでした。



ただ、カーッとなったとき、抑えが効かないような状態になる、という話を良くされました。


ただ、なぜそのように抑えが効かない状態にまでなったのか、

そこの説明はいつもなくて、


私としても、全容がつかめないまま、


すいませんでした。


と繰り返すしかありません。



自己抑制機能が低いのか、


そこを強化するには、どうしたらと、


毎日毎日悩んでいました。



色々なサイトで調べても、結局、全容が分からないので、
その時に声かけというのも出来ない、


どういう状態で、対応はどうされて、こうなったのか。


そこまで求めることは出来ませんでした。



手が出る、この事は、2年くらい悩まされ、卒園まで悩まされました。

A君のご両親的には、普段は仲良く遊んでるのも知っているので大丈夫です、と言われています。ということでした。


叩く、手が出る、と言っても、けがをさせたとか、そこまではなくて、


逆にたまに軽いケガをしてきて、謝られることもありました。


三学期頃になると、れんの言葉使いが、乱暴なもの、

たとえば、


ぶっとばす

このやろー
とか、そんな感じの言葉が出てきて、


成長と共に、と言うことなんですが、

言葉の意味や相手のに与える影響をまだ完全には理解しないで使っている。



言われたお友達もビックリしてしまう、

という指摘を受けました。


ただ、これに関しては、家でそういうテレビを見ているとか、使っているということはなかったので、



言葉遣いは、園でお友達との関わりのなかで覚えてしまって、使ってしまっているので、もし、家でも使うようなら、注意してみます。


と返しましたが、そこは園での指導をお願いします、という意味を込めた返事をさせてもらいました。



家でそういう言葉を使っているとか、テレビなどを見せているなら、そういう指摘も仕方ないのですが、家では使ってないし、


言われても、注意する場面がなかったですし。
そもそも、その年齢の子供は使いたがる時期でしたから、他の子が使っていたのでしょう。




秋頃だったか、れんの療育の見学に、園長と担任の先生が来られて、様子を見てもらうときがありました。


その日も落ち着いていて、やることはやれてました。

後日、園長にあったときに、ありがとうございます、と伝えると、

園とは違って、緊張してやれてましたね。
園で、参加しないでふらふらしてしまうよりは、ちゃんと参加する練習にもなって、今ではなく、将来の自己肯定感を育ててるみたいですね。


園では甘えきってしまってますからね。


と言うようなことを言われたと思います。

甘えきっている、とても印象に残る言葉でした。


転勤の話もあった頃で、

加配は、保育園や幼稚園だと、お金の問題?で出来ないんです、と言われました。

そこの事は分からないので、

そうなのか、と思いました。


他の園は分かりませんが、うちの幼稚園では、副担任や主任などが、その代わりになっていたようです。


加配というより、邪魔になるようなら、他の部屋へ、や、教室から出ても放置などの対応。

なので、他の子供たち優先、なんでしょうね。
特に、年長にもなれば、ちゃんと出来て当たり前、というのが全面に感じられました。


実際、生活発表会の時も、劇で練習がうまく行かない時に、

他の子と違う動きをしてしまうと、
あのこどうしたのかな、とみられますから。


年長にもなって、そんなことする子は居ないですからね。

等と言われました。

マーチングの時、涙を流したところを見て、信頼した気持ちは、どんどん無くなっていきました。


マーチングの時、

本番が近づいたとき、

れんがまだちゃんとやれるかどうか、
あの、

それでも、やりますか?発言


の翌日、旦那に、



そうすると、全体の完成度が…


落ちると言いたかったんでしょう

そう発言したらしく、


それが本音なんだと思いました。

きっと、つい、言ってしまったんでしょう。



そもそも、れんが本当にやれるとは信じてはくれてなかったと思います。


それは、いつでもそうで、

いつもいつも、やれないだろうが先に来ます。



園に対する信頼は、どんどん減ってしまっていましたが、冬頃には、転勤もなくなることになって、卒園、小学校もこの土地ときまったので、



あと少し、と過ごしていました。

個人面談も、もう、旦那に任せました。

れんのために、やれることはやろう。
そうやって、卒園式を目指しました。